明石市教委は八日、本町一の料亭跡で、江戸時代初期の町屋跡が見つかったと発表した。明石城外堀の外側で町屋跡が見つかったのは初めて。発掘されたのは屋敷境の石組みの溝や、池状の遺構などで、池状の遺構からは十七世紀半ばの唐津焼の皿などが百個以上出土。一カ所での出土量は市内で最多という。(坂本 勝)
現場は明石港の播淡汽船乗り場北約五十メートル。十七世紀前半の江戸時代初めに描かれた「播州明石城図」によると、明石城外堀の外に、東西に広がる町屋の中心部にあたる。マンション建設に先立ち、四月末から今月中旬まで約三百十平方メートルを発掘調査中。
遺構は、地表の約八十センチ下から見つかった。屋敷を区切る溝は、東西と南北方向の二つで幅約四十センチ。明石城下の武家屋敷跡の区画溝が素掘りだったのと違い、一辺約三十センチの立方体の竜山石を多く用いていた。十七世紀半ば以降、幕末まで踏襲されたという。
池状の遺構は、東西七メートル、南北六メートル、深さ約一・五メートル。唐津焼、志野焼、伊万里焼の食器類、備前焼や丹波焼のすり鉢、軒丸瓦、銅銭などが出た。不要品を廃棄したらしい。直径八十センチ、深さ一・二メートルのおけを中央部に備えた直径約三メートルの円形に掘った井戸や土坑なども現れた。
「播州明石城図」などと照合すると、調査個所の街区は南北の縦方向に長い「縦町」で、商人町であった西本町に該当するという。
市立文化博物館は「出土した遺物は(高級な)磁器は少なく、(比較的安価な)陶器が多いが、量は武家屋敷跡を上回る。商人に財力があった裏づけ」とし、「今後、武家屋敷跡と比較し、町人と武士の暮らしを重層的に解明する必要がある」としている。
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(中川佳男、石沢菜々子) |
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