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第一部 特産・名物 いまむかし
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| 7 丹波栗(上) |
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「大きく立派」の代名詞
「“丹波”の名で売れる」―。丹波栗(ぐり)の生産に携わる人は、そう口にしてはばからない。「まず大きい。甘味があるし、身が締まっていて加工しやすい。つやもあるしな…」。ところが、いざ所望すると「どの丹波栗にしようか」と言われてしまう。「丹波で育ったら、品種に関係なく丹波栗なんやから」 ◇ ◇ ◇ 平安初期、丹波では既に栗の栽培が始まっていたらしい。広まった理由は、少なくとも「土壌や気候が適していたことが挙げられる」。柏原農業改良普及センターの副所長などを務め、現在、春日町産業課で営農相談に応じる小山一夫さん(64)は説明する。 まず土壌は「土層が深く地下水が低いところを流れているから、根が張りやすい」。地下水が高いと、根が水に触れる時間が多くなり、害をもたらしやすいのだという。その点、落ち葉が肥やした山林の斜面などはもってこい。 そして気候は「昼夜の温度差が激しい」。陽光をいっぱいに浴びて作った養分を、寒さに耐えられるよう果実の中に多く蓄えるから、実が“ギュッ”と締まるらしい。 土壌に関しては、もう一つある。丹波は平地の少ない山国。古来より、米の作りにくい場所が多かったと考えられる。となると、住民の飢餓を防ぐためには、山の斜面なども有効に使わねばならない。 県果樹研究会の常任理事を務めた寺内勝治さん(80)=山南町岩屋=は「ほかの果実と比べても栄養価が高く、住民が常食に用いたかもしれないね」。自身、小さいころを振り返り「秋になると毎日、栗を拾ってから学校へ行ったもの。大きなのを五、六個も食べれば、おなかいっぱいになるんだから」。 「食べる」だけではない。栗は木にもさまざまな利用価値があった。硬くて湿気に強く、耐用年数が長いなどの利点が威力を発揮した。おけや器に見られる台所用品▽机、棚といった家具▽家の床板、屋根板―のほか、大木ともなると、線路のまくら木にも数多く使われてきた。 鉄道員として現在のJR福知山線などで長年、保線に携わった寺内さんは、前身に当たる阪鶴鉄道建設の際、文字通り“線路の礎”となった丹波栗の木に一層の愛着を感じる。「丹波布の染色にも用いられたようで、とにかく使い道が多いんです」と栗の万能性を強調する。 ◇ ◇ ◇ そんな丹波栗、余程たくさん作られているかのようだが、予想は大きく裏切られる。兵庫県の収穫量(一九九八年)は、トップの茨城県(五千二十トン)から大きく離され、わずか十分の一ほどの五百四十三トン。全国シェアでは約二・一%にすぎない。丹波産は、さらにそのうちの約二割。京都府に至っては、たった百五十トン余りだ。そのほとんどが丹波地域で作られているとはいえ、産量の少なさははっきりしている。 もっとも、この数字はそのまま栽培面積のシェアとほぼ同じ値。作っている場所が少ないのだから、収量が少ないのは当然だろう。丹波は特産地ではあっても、古くから決して大産地ではなかった。 品種が他産地と違う―ということはない。戦後開発された量産種の早生(わせ)「筑波」や丹波原産とも言われる高品質の「銀寄(ぎんよせ)」が、高い割合を占める。それなら丹波育ちの筑波や銀寄だけがおいしいのか。寺内さんは、やんわり否定する。「今は全国どの産地も努力してるから、結構おいしい栗を作りますよ」 なのに「丹波栗」の“名”は廃れない。栗の種類は多数ある上、同じ品種でも地方によって呼び方が異なる。分かりにくい品種名を出して誤解されるくらいなら、農産物全般に通りの良い「丹波」を使わせてもらおうと、拝借されるようになったらしい。特に「大きく立派な栗」の代名詞として「丹波」の名を冠して売る観光地が多い。 品種は違っても丹波で育てば、正真正銘の「丹波栗」。丹波以外で採れても、どっしりと大粒なら“丹波栗”として堂々と流通する。こうした現実に丹波の栗生産者の思いは複雑なのだろうが、「丹波」の名イコール「誇り」という認識は共通している。 なぜなのか。そこには丹波栗が全国に知られるようになったいきさつと、「世界でもトップレベルの良質栗を生産する技術」(小山さん)という二つの理由があった。 (佐伯 竜一) |