10.二つの顔
(2003/01/19)
本物の味にこだわり/漁師の信念直接届け
その手はごつい。節くれ立って、固く、大きい。いま目の前で、その手のひらが、指が、別の生き物のように動き、つややかな光沢をたたえた寿司(すし)を次々と生み出していく。
岬町の漁師、畳谷洋一さん(40)は四年前、神戸・三宮の繁華街に寿司店「赤石鹿ノ瀬寿司」を開いた。店で出す魚は、天然物はほとんど明石産。自らの手で水揚げしたものもある。「まずい魚は店には出さない。明石の魚は身が締まっていて、入れた包丁に粘り着く」。どれをとっても、漁師と寿司職人の二つの顔を持つ畳谷さんが吟味し尽くした一級品ばかりだ。
畳谷さんが板場に立つのは主に週末。平日は板前三人に店を任せて、明石の海に出る。漁は一日二回。潮流が静まる「潮止まり」を見計らって、地元の明石浦漁港から、船に一人乗り込む。目指すは、近海で最も潮の流れが速い明石海峡大橋の真下だ。
付近の海底は地形が入り組み、絶好の漁獲ポイント。「激しい潮流にもまれて、近海で一番うまい」。しかし船が潮流で流されやすい上、海底の起伏で底引き網が傷みやすく、とどまる漁師は少ない。それでも納得できる魚を手に入れるため、このポイントにこだわり続ける。
漁師だった祖父にあこがれ、中学卒業と同時に漁船に乗った。以来二十五年。潮風が、漁師のプライドをはぐくんだ。
一方で、一つの疑念が頭をもたげ、どんどん膨らんでいった。「料理屋に出る明石の魚は値段が高く、庶民の口には入りづらい。さらに初物を求めるあまり、市場のニーズが、次第に『旬』からかけ離れていく」。本当においしい明石の魚をより安く提供したい―思案の末、たどり着いたのが寿司店の開店だった。
店に出す魚の値段は、高品質の割に安いが、たたき売りはしない。味に見合った価格設定は、漁師としてのポリシーでもある。こうした意気込みが客の心をつかみ、常連も多い。「漁師の信念が陸(おか)に届いた。漁師が選んだ明石の本物の味がお客さんに伝わった」
寒風吹き付ける大橋のたもと。畳谷さんの船のいけすには、ガシラやアブラメ、マダイが跳ねる。一回の出漁は三時間前後。「効率は悪いけれど、すべてが真剣勝負」。船の腹から波音が規則正しく響く。力強く網を引く手。厳しい漁師の表情がそこにある。この場所にはその武骨さが似合う。
「そういえば」。畳谷さんが船の上で続けた。「農産物が生産者表示をするように、魚でも取った漁師の名前を示してもいいのでは…。それが、漁師の誇りを育て、消費者の信頼を生む」。二つの顔を持つ人ならではの言葉が、海風に乗って、広がっていった。
=おわり=
(この連載は、奥原大樹、本田純一、中川佳男、石沢菜々子が担当しました)
HOME
・
明石TOP
・
「潮風の中で 海のまちの物語」目次
9<
10
Copyright(C) 2003 The Kobe Shimbun All Rights Reserved