3.平家物語(2004/05/02)
腕塚に興味引かれて
 
山電人丸前駅から天文科学館へ通じる坂道。周辺は平家ゆかりの地でもある=人丸町
 「両馬川旧跡」と書かれた看板が、山陽電鉄人丸前駅(天文町一)近くの高架下に立つ。

 平安時代にこの場所で、一の谷の合戦に敗れた平家の名将、平忠度が西へ落ちる途中、源氏の武将岡部六弥太忠澄と川を挟み、馬上でにらみ合ったことが由来という。

 忠度は忠澄を組み伏せ、首を討ち取ろうとしたが、逆に忠澄配下の雑兵に右腕を切り落とされ、返り討ちに遭う。平家物語の「忠度最期」は、歌の名人でもあった武将がはかなく散っていく様子を描き、名場面といわれる。

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 風土記「明石」の中で、足穂は市内のさまざまな場所に足を向け、思うままに筆を振るっている。明石とゆかりの深い平家や平家物語についても、簡略ながら触れている。両馬川旧跡はこう記されている。

 「私の子供の頃、東坂のふもとの鳥居のわきから、径に沿うて小川が流れていた。曾て明石川と合流して海に注いでいた『両馬の川』の名残であるが、其後は暗渠になって…」

忠度の腕を祭る腕塚神社。腕の病気に霊験があるとされる=天文町
 足穂の記述の通り、当時と同様、現在も川は無く、道はすっかりコンクリートで舗装され、川があった気配を感じさせない。

 人丸前駅周辺を気ままに歩く。明石の象徴といわれる天文科学館の時計塔、人丸神社…。忠度の腕を祭ったとされる「腕塚神社」もある。

 この神社については、足穂はこう書いている。

 「北寄りの右手塚町には『腕塚』がある。何のために別に腕のお墓を作ったのかは、私にはいまだに判らない」

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 足穂が、腕の墓を作った理由が分からないと書いた同神社を訪ねた。

 同駅から西の方向、民家の間にひっそりと立つ。「腕の病気に霊験あらたか」とお参りする人が絶えず、毎年三月には祭礼を開き謡曲「忠度」を披露するという。

 夕暮れ、境内の石を触ってみる。腕に病気があるわけではないが、ひやりとした冷たい感覚に何となく歴史を感じた。夕日を浴びて神社の社がカキ色になった。

〈メモ〉 両馬川旧跡は山電人丸前駅を降りた高架下。腕塚神社は同駅から西に徒歩で約5分。境内に置いてある木製の右手でけがをなでれば完治すると伝えられる。
 
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