2.特別養護老人ホーム「あしや喜楽苑」理事長
  市川 禮子さん(67) 
(2004/05/02)
共生/本来の「福祉」を見た
 
液状化で最大1メートル傾いた開所前の「あしや喜楽苑」=いずれも芦屋市潮見町
現在の施設。植栽や周辺道路も整備され明るいイメージが漂う
 避難所となった芦屋の体育館には高齢者と障害者がいた。多くは入り口の近く、誰かが出入りするたびに風が入る一角にうずくまっていた。「もっと暖かい奥の方に行けば」と声をかけたとき初めて知らされた。トイレへの行き帰り、おぼつかない足元で他の人に迷惑をかけるのが申し訳ないという返事だった。

 ―震災後の生活は「生きること」を問い直す作業でもあった。福祉の現場も試行錯誤を繰り返した。

 行政は仮設住宅に、まず高齢者と障害者を優先して入居させた。しかし市街地から離れた場所が多く、結果的に不便な暮らしを強いられたケースが目立った。買い物や通院がおっくうになり、インスタントの食事が増えた。「孤独死」も出始め、どこの仮設住宅に住むかで運命を分けることがあることを学んだ。

 ―あしや喜楽苑は一九九五年四月開所予定だった。しかし同年一月の震災で開所が二年ずれ込んだ。

 被災したときは開設の認可前だったので、国から建物補修費の補助が出なかった。前に進む道がまったく見えなくなった。既に運営していた他の施設も避難者や介護が必要な人の家族で満杯に。そんなとき全国のホームから救援の申し出が次々と届いた。ボランティアスタッフ、自転車十台、バイク、飲料水…。施設の補修費用も寄付でまかなえた。開所前に採用していた職員たちも「ここで働ける日まで待つ」と言ってくれた。あのときの「熱い思い」は、かけがえのない宝だ。

 ―仮設住宅の建設が本格化する中、市川さんらが行政に一つの提案をする。小人数がそれぞれ個室を持ち共同で住む「グループホーム型ケア付き仮設住宅」だった。

 芦屋に第一号ができた。一棟に十四室、脳性まひの三十代男性や九十代の障害者が入った。年齢や障害の度合いを問わない「同居」。自然とそれぞれが買い物の付き添いや散歩相手をするようになった。統合失調症の人が、お年寄りが話し相手になるうちに主治医も驚く回復をみせた。

 「このまま仮設住宅に住み続けたい」という声を聞いたとき、本来の福祉を見た気がした。

 ―高齢化社会で震災の教訓は生かされるのか。

 福祉が「市場」になっている現状は危うい。国は民間委託を進める考えだが、しわ寄せは必ず弱い者にくる。自治体が福祉のリーダーシップをとれるよう、財源も含めた地方分権が必要だ。
(聞き手・和田和也)

 
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