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権力者に守られた証拠
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| 歴史を感じさせるはげ落ちた禁制札=永澤寺 |
永澤寺は応安三(一三七〇)年、当時の室町幕府管領である細川頼之によって建立された。開祖として招かれた通幻禅師の存在が寺の地位を高めたとされる。
為政者と結び付いて世俗にまみれる僧侶が増える中、通幻はひたすら修行に励み、自身にも他人にも厳しかった。そんな姿が大勢の権力者に好感を持たれた。寺が火災に見舞われたときは寄付によりすぐに再建され、戦乱の世でも兵火を受けることがなかった、といわれている。
加護の証しの一つが、同寺に所蔵されている木製の禁制札だ。明応元(一四九二)年、時の摂津国守護で、将軍の補佐役として政権を握っていた細川政元から送られた。
禁制札は、幕府や大名などが下す。二種類あり、一つは人が集まる場に掲げて禁令を告知するもの。もう一つは同寺の札のように、気に入った神社や寺院を守ることを目的にした特別なものだ。
「一、商僧并放下事」
札に墨ではなく、彫られて記された文章の意味は、僧の姿をした商人や旅芸人の寺への侵入禁止。ほかにも、寺の東西南北約二キロ内の竹や木の伐採を許さなかったり、輩(やから)が寺に侵入し悪事をすることを禁じたりしている。同寺への厚遇ぶりがうかがえる。
札の大きさは、縦約三十二センチ、横約五十五センチ。五百年以上の月日で風化が進み、所々が剥落(はくらく)。虫食いにあい、字が読めない部分もある。裏にはつり金具が残っており、風雨にさらされてもよい門前の屋根下か塀に掲示されていたとされる。
市内に残る唯一の木製禁令は一九九二年、市指定有形重要文化財に指定された。
現在、永澤寺門前に禁制札はない。戦乱が収まった江戸時代後期に取り外された、と伝えられる。今、寺を守るのは、権力者ではなく、檀家や信者らの厚い信心だ。
(斉藤絵美)
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| <メモ> 禁制札は一般公開されていない。永澤寺は「関西花の寺25カ所霊場」の第11番札所。また、寺内ではショウブやボタンなど季節の花が観賞できる。神姫バス「永沢寺」下車してすぐ。同寺TEL566・0401
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