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| 井坂家に伝わる「木製百人一首かるた」=歴史資料収蔵センター |
歴史資料収蔵センター。「百人一首」とだけ記された木箱を開けると、縦七・五センチ、横五センチ、厚さ五ミリの木札があった。
市内唯一の木製かるた。旧三田藩士、井坂家が東京へ移住する際、市に寄託した。
百人一首といえば、紙札に小野小町や紀貫之ら歌人の姿と歌が描かれている形が一般的だ。
しかし、木製かるたは現在も北海道を中心に親しまれている。一説には江戸時代後期、屯田兵が作ったとされる。貴重な紙の代わりに建材などで余った木で作り、厳しい冬の遊びにしたと思われる。読み札がなく、独特の崩し字で書かれているのが特徴だ。
井坂家のかるたも取り札百枚がそろうが、読み札は一枚もない。崩し字体で墨書きされている。
詳しい来歴は不明というが、文化財ボランティアさんだの堺久仁子さん(55)は「元三田藩士だった赤心社メンバーからの贈り物ではないか」と推察する。
同社は一八八〇(明治十三)年、北海道入植のため、旧三田藩士鈴木清らが中心となって結成。内地の人を移住させ、開墾や牧畜の発展に貢献した。
鈴木、井坂家は屋敷町の旧藩士。清の同世代には、町会、郡会議員として三田の発展に尽力した井坂融がいた。二人の関係を詳しく伝える資料はないが、藩校造士館に学んだ仲として親交があった可能性はある。
堺さんは「保存状態がよく、井坂家はとても大事に保管していたと思われる」と話す。
木製かるたは、厳しい北の大地に生きる同郷者たちからの無事の便りだったのかもしれない。
(安田英樹)
| <メモ> 廃藩置県により士族階級は失業したが、井坂家は融が公職に就き、行政手腕を発揮し、家名を高めた。歴史資料収蔵センターは、井坂家に伝わる江戸時代の絵札百人一首かるたも所蔵。企画展などで展示する。同センターTEL562・7233 |
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