離れてみて 水禍から2ヶ月あまり
5.写真立て (2005/01/08)

尽きない思い出支えに

妻を亡くし、水害で住み慣れた家を失った。思い出が清さんを支える=洲本市本町4

 洲本市本町四丁目の真新しい家。訪ねると、亀井清さん(79)は二つ折りの写真立てを手に取り、見せてくれた。

 一枚は清さん、もう片方は昨年二月に七十五歳で亡くなった妻幸子さんが写る。四十年前に撮ったモノクロ写真。広げると、二人が仲むつまじく寄り添う形になる。

 「前に住んでた家を避難する際、一番高い棚の上に隠しておいた。だから、これだけは水につからなんだ」

 和歌山で生まれ、尼崎で育った。十歳のとき洲本に移り住み、物部二丁目へ。辺りは田園風景が広がり、夏は玄関も窓も開けっ放し。のどかで近所つきあいも深い。そんな町で幸子さんと五十年間、苦楽をともにしてきた。

 物部地区は近くを洲本川と支流の千草川が流れる。清さんはこう例えた。

 「川のこっち側は“松外”、向こうは“松内”。昔からの言い伝え。川の端に松が植えてあったからな。松内は城下町で偉い人が住んどった。こっちは下町。気安くて住みよくて、愛着のあるところや」

 ひとり娘(37)が嫁いでからは、幸子さんと二人暮らしだった清さん。でも、傍らにその妻はいない。

 寂しさが募るほど外で食事をする機会が増え、二日と空けず酒を飲みに出た。行きつけの店やカラオケ喫茶の扉を開けると、いつもなじみの仲間がそろっていた。

 さまざまな思い出がたっぷり詰まった物部地区。ところが、台風23号が襲ったあの日、濁流が波を打ち、家をのみ込んだ。全壊だった。

 それからしばらく市内にある親せきのマンションに身を寄せた。一カ月後、娘のために長年続けた貯蓄を切り崩し、今の家を購入。高校二年の孫も含め三人で暮らす。

 たまに散歩に出るが、目と鼻の先の浜辺より、物部方面へ足が向くという。今の家の周辺には若い共働き家庭が多く、近所つきあいはまだない。「年寄りだし、慣れるには一年ぐらいかかるかな」

 仏壇に手を合わす。妻の写真がほほ笑む。幸子さんが好きだったお香、お気に入りの着物。水害から二カ月以上たっても、まだ湿り気が抜けない思い出。清さんはそれを一つ一つ、広げて乾かす。

(記事・写真は萩原真、大森武が担当しました)=おわり=

 
 
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