| 台風23号 円山川水系 記 録 | |||
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夜明け間近の午前六時。京都府舞鶴市の国道175号では、兵庫県市町村職員年金者連盟豊岡支部のメンバーら三十七人が水没した観光バスの上で助けを待っていた。孤立から約十時間。ほとんどが六十歳以上の一行の体力は限界だった。 旅行先の福井県・芦原温泉からの帰途だった。二十日午後八時半ごろ、近くの由良川の増水でバスが立ち往生。車内が浸水し、カーテンを切って作ったロープをよじ登り屋根に必死で逃れた。だがまもなく、水はひざまできた。乗客らの携帯電話で遭難を知った家族らが豊岡市や警察、自衛隊や報道機関に救助を求めた。 絶望的な状況。だがあきらめなかった。坂本九の「上を向いて歩こう」を合唱し、手遊びの「結んで開いて」を繰り返し、体温低下を防いだ。 元公立豊岡病院職員の小畠唯美(67)は、小中学校の同級生の稲葉武士(68)とバスから約三メートル離れた街路樹にしがみつき、流れてきた竹の棒をしばった。一方を屋根の乗客が引っ張り、車体の漂流を防ごうとしていた。 小畠は疲労で意識が遠のいた。孫二人の顔が走馬灯のように脳裏に浮かんだ。「ここで死ぬものか。絶対に生きて帰るぞ」。力を振り絞った。 夜が明ける。まもなく海上自衛隊のヘリコプターが飛来し、隊員がロープで降下した。約二時間で全員を救助。遭難から半日後の生還だった。 ◆ 午前七時ごろ、大阪・八尾空港。但馬に向かう国交省近畿地方整備局のヘリコプターに、二年半前まで同省豊岡河川国道事務所長を務めた同局技術調整管理官、伊藤利和(54)ら計六人がいた。 周りには同様に天候回復を待つ報道機関や行政の機体が待機している。七時すぎにたったヘリは大阪湾を西に進み、比較的天候の安定している加古川流域を北上。八時十分ごろ、山東町に入り、和田山町の円山川上空にきた。土砂崩れや車の通行状況を伝える伊藤の説明とともにカメラ映像が大阪市中央区の同局などに流される。 養父市内の大屋川、八木川の合流点をすぎ、大きく左へ曲がる円山川の先、両岸に泥水で満たされた田畑が広がっていた。右が日高町赤崎、左が養父市八鹿町宿南だ。「この付近は相当の冠水がみられます」。泥水に漬かった稲葉川河口、日高町市街地、冠水状況が映し出される。次の瞬間、カメラは北の方を向いた。薄っすらかかるガスの向こうに、信じられないような光景がある。蛇行する円山川が、広大な泥の海に向かって注ぐようにみえる。 「広範囲でカメラに全部入らないが…」。カメラマンが大声で問い掛ける。山々が囲む泥海に唯一はっきりと描かれた堤防の曲線が途絶えている。堤防の決壊現場だった。「現在、川と周囲の水位が同じ状況になっています」「交通の流れはありません」八時半、ヘリが反転して六方方面に向いたとき、朝日が泥の水面に反射した。 「あの美しく穏やかだった円山川が…」。伊藤は、二十二日に決壊現場に立ったとき、豊岡時代に見た堤防でのマラソン大会や四季の風景を思い出しながら、姿を変えた自然のエネルギーの凄(すさ)まじさを感じた。 ◆ 伊藤らのヘリは出石川の決壊現場の状況を伝えた後、大きな水害が起きた京都府由良川流域の上空を回り、豊岡に戻ってきた。国交省から誘われた市長、中貝宗治(50)は但馬空港からヘリに乗った。決壊現場を見たかった。市役所から出たのは、初めてだった。 空港を飛び立った直後、ぼう然となった。市街地が水に浮かんでいる。川の内と外の境も分からない。それはあまりにも衝撃的だった。両岸を泥の海にした自然のケタ外れの猛威に打ちのめされた気がした。「なんてことになってしまったんだ」「こんちくしょう」。心の中で叫び続けることで自分を支えていた。(敬称略) =記録編おわり= この連載は辻本一好、幾野慶子、森 信弘、井原尚基、浦田晃之介、大島光貴が担当しました。 |
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