夢の甲子園へ 神戸国際大付明石の3球児

中.日笠 翔遊撃手 (2005/03/21)
今果たす父の夢/キャッチボールが原点
小学5年生のころ。市内のソフトボール大会で(日笠伸昭さん提供)

 父は、果たせなかった青春時代の夢を、息子に託した。その夢が今、現実になった。

 日笠選手は藤江小学校一年生のとき、地域の子ども会でソフトボールを始めた。きっかけは、父伸昭(45)さんとのキャッチボールだ。楽しくてたまらなかった。伸昭さんはチームのコーチを務めた。家でも練習に付き合った。

 伸昭さんは、岡山・倉敷工業高校野球部で、日笠選手と同じ遊撃手だった。今も時間があれば、伸昭さんは息子と一緒にバッティングセンターに行く。

 日笠選手がバットから放つ鋭い打球。キャッチボールで放ってくる速い球…。元球児の伸昭さんは認めたくないが、「息子には負けた。悔しいような、うれしいような気分」。複雑な心境だ。

 日笠選手は当初、右打ちだった。ようやくフォームが固まってきた小学三年生のとき、イチロー選手にあこがれた。「左打ちにしたい」。伸昭さんは反対しなかった。夜遅くまでティーバッティングを手伝った。「やると言い出したら、何を言っても聞く子じゃなかった」という。

 「親子というより、野球好きの友だちみたいな関係。これからも一緒に楽しみたい」

 望海中学校に進み、軟式野球部に入部した。しかし、なじめず間もなく退部した。

 野球を続けたいという日笠選手は、伸昭さんの知人の紹介で硬式野球チーム「兵庫播磨リトルシニア」に入る。練習場は自宅から十キロ以上離れた加古郡稲美町だった。

 週末や放課後、伸昭さんと母の照子さん(45)が車で送り迎えした。日笠選手は「好きな野球を続けることができたのは両親のおかげ」と話す。

 三年生の時、クリーンアップに定着。守備はファーストかサード。「サヨナラヒットをよく打った。チャンスに強い頼れる存在だった」と同チームの石川朗監督(51)は振り返る。日笠選手も「途中から入ったけど、快く受け入れてくれた。感謝している」と懐かしむ。

 高校入学後、ショートに転向した。「守備は苦手なのに」と戸惑ったが、コーチと特訓し、今や内野の要になった。

 中学の先輩にあたる阪神タイガースの藤本敦士選手が目標だ。「けがを克服して活躍するところがすごい」。打線のつなぎ役というチームでの位置も同じだ。

 甲子園での初戦は近い。「たくさん打球が飛んでこい」。自信にあふれている。

 
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