宮崎・加久藤中学校の二年生が来月、再演する朗読劇「手紙 めぐりくる春に」。原作を書いたのは、芦屋市内で劇団を主宰する前田伊都子さん(46)=同市翠ケ丘町=だ。
前田さんは震災で同市親王塚町の自宅が全壊し、市立岩園小学校の一年生だった長女らとともに宝塚市の知人宅に避難。電車やバスが寸断される中、同級生の親の車に乗せてもらい、長女を片道一時間かかる同校まで送り迎えしていた。
二カ月後、神戸市内のマンションに引っ越し、長女の転校手続きに同校を訪ねたときだった。前田さんは担任の上野聡子さん(57)=仮名=から、「読んでね」と分厚い封筒を手渡された。
前田さんと同様、芦屋市前田町の自宅が倒壊した上野さんは、中学三年の長女彩さん=当時(15)、仮名=を亡くしていた。
「柩(ひつぎ)の中の娘は、飾る花もなく…」。手紙には、ヘリコプターで大阪の斎場へ運ばれる彩さんを見送る場面がつづられていた。「友人は学校の庭に咲いているパンジーで飾ってくれました。春になるたびに思い出すことでしょう」
抑えてもなおあふれ出る悲しみが、文面ににじんでいた。「先生は身を削って書いたんだ」。一度は目を通した後、しばらくしまい込んでいた。
上野さんは当時、家族を小野市の親類宅に避難させ、岩園小の職員室で寝泊まりしていた。自宅近くの避難所に荷物だけは置いていたが、そこから通う気力を持てなかった。
同じ芦屋市内に仮住まい先を見つけたのは三月。家族を呼び寄せると、上野さんはそれまで支えてくれた人たちにお礼の手紙を書いた。前田さんにあてたのは、宝塚から毎日、長女を送り迎えする姿に、「こんな強い人もおるんや」と、励まされたからだという。
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一九九六年の春ごろ。前田さんは、手紙への「返事」をつづり始めた。震災をテーマにした劇を作ろうと考えたのだ。
手紙を幾度も読み返し、脚本を書き進めた。言葉をそぎ落とし、十カ月ほどかけて四部構成の朗読劇に仕上げた。第一部は、上野さんと自身との往復書簡の形を取った。
初演は九七年一月二十五日、神戸市内の小劇場。客席には上野さんの姿があった。市内の仮設住宅から足を運んでくれた人もいた。
冬は残酷です。朝の冷気にさらされると、土埃(ぼこり)の匂(にお)いを、暗い空に響くサイレンの音を、ありありと思い出してしまうのです。
幕が下り、七十人ほどが座る客席に明かりが戻ると、全員の目が赤かった。
「娘のことをちゃんと考えてくれてる」。終演後、上野さんは楽屋を訪ね、前田さんの手をぎゅっと握った。
あれから十年。前田さんは振り返る。「あの時はまだ、みんな震災のただ中にいたのね。まちも、人の心も」