「もう、見に来なくていいな」。上野聡子さん(57)=仮名=は朗読劇の原作者前田伊都子さん(46)に顔を合わせることなく、会場を立ち去った。
二〇〇五年一月、芦屋市内で上演された「手紙 めぐりくる春に」。その年から、劇は映像や効果音を取り入れていた。
初演から足を運んできた上野さんには、それまでと違って見えた。「前田さんは前を向き始めたと思った。距離を感じて、寂しかったのね」
震災前夜。上野さん一家には、久しぶりに笑顔が広がっていた。中学三年の長女彩さん=当時(15)、仮名=の進路希望を、ようやく受け入れた夜だった。
半年前、彩さんは突然、「看護師になりたい。全寮制の学校に行く」と言い出した。上野さんも夫(60)も反対した。
かばんの中に入っているのは、たいてい漫画本とリップクリームぐらい。そんな彩さんが、何度も看護学校での体験実習の話をした。生き生きしていた。「あの子らしいかも」と思うようになった。
一九九五年一月十六日。家族五人がこたつを囲む中、夫が切り出した。「分かった。僕らの老後をみてもらおう。みんなで応援しよう」
彩さんは居間に残り、遅くまで勉強していた。「風邪引かんように頑張りや」。廊下から声をかけたのが、最後だった。
崩れ落ちた家から、彩さんのノートが見つかった。「私の話を聞いてくれた。家族が一つになったみたい」。最後のページに、丁寧な字でつづられていた。
■ ■
芦屋の自宅は再建した。学校の仕事もきちんとしてきたと思う。けれど、娘を亡くしたあの日から立ち止まっている―。上野さんはそう感じながら生きてきた。
傾いたビルや瓦(が)礫(れき)が片づけられたからといって、復興だといえるだろうか。とり散らかったオモチャや布団を、手当たりしだい押入れに突っ込んだようなもので、襖(ふすま)を開ければ、整理されないたくさんの問題がザッとなだれ落ちてくるに決まっている。
がれきの中から取りだしたいす。娘に離乳食を与える際に使った手作りのいすを見るたびに、上野さんの心は今も十二年前へと引き戻される。
九七年一月、出張で飛行機を利用する機会があった。「事故にでも遭ったら、また家族が欠けてしまう」。乗るのが怖かった。
到着後、荷物を開けると、中からマッチ箱のようなケースが出てきた。中にはミニカーと「がんばってね」と書かれた紙片。当時、小学五年の長男がこっそり入れていたようだった。「同じように感じてるんかな」。胸が詰まった。
世の中と、遺族の胸の内。それぞれの時計は、異なる歩みを刻む。
墓は十二年前に建てたが、彩さんのお骨は今も家に置いてある。
「斎場から、心に閉じ込めたままのものは、たくさんあるのね」