「手紙」 ―芦屋から

震災12年

5.語る (2007/01/15)

残したい「記憶」だから

 人前で話したのは一度きりだ。

 二〇〇四年一月、上野聡子さん(57)=仮名=は震災体験を生徒に語るため、亡くなった長女彩さん=当時(15)、同=が通っていた芦屋市立山手中学校を訪れた。

 震災直後にも、慰霊祭参列のため足を運んだが、生徒たちの姿を目にして、込み上げるものがあった。「どうして、うちの子だけいないの」

 そんな思いを整理できるかもしれないと、依頼を受けた。いずれ話さねば、とも考えていた。

 原稿を用意していたが、途中で何を話しているのか分からなくなった。

 「みなさんも進路で悩んでいるかもしれないけど、うちもぎくしゃくしていた。震災の前日、みんなで応援することになったら、あの子が初めて自分から勉強して…」

 話しながら、「教師」として生徒の前に立つ自分を、いやだと感じた。

 上野さんは教師をしながら彩さんを育てた。まだ幼いころ、夕暮れの芦屋川沿いでセリを摘んでいる姿を見つけた。「おかずになるよ」。笑顔だった。家庭菜園で取れた大根を、小さな手を真っ赤にして洗っていた。「頼まなくても、黙って手伝ってくれる子でした」

 不器用で、幼稚園までスキップができなかった。スポーツは苦手。でも、地域のバレーボール教室だけは続けていた。

 娘がどんな子だったか、知っていてほしい。本当は、母としてそう言いたかった。

■ ■

 「テレビに映る被災地の光景の中に、その日まで普通の暮らしを営んできた人たちがいる。台本を何度も読み込むうちに、そのことに気づいたのかな」。上野さんはそう言って、涙ぐんだ。

 朗読劇「手紙 めぐりくる春に」を昨秋、上演した宮崎県えびの市立加久藤中学校の生徒の話を上野さんに伝えた。

 彩さんの最期のシーンでいつも立ち止まってしまう生徒のこと、懸命に支えた教諭のこと。そして、舞台の上の真剣なまなざし。

 「生徒たちと私は、前田さんの作品を通して、どこかで少しふれあえたんだと思う。それで十分」。穏やかな声だった。

 加久藤中の山口駿君(14)は年明け、友人に「もうすぐ一月十七日だ」と話しかけた。昨年まで意識したことのない一日を、ふと思い出していた。

 前田伊都子さん(46)は来年一月、芦屋市内で朗読劇の上演を計画している。「あの劇をやるには、エネルギーがいる。今年は準備の年ね」

 十七日は彩さんの十三回忌。上野さんは予定を入れていない。追悼集会などに出れば、心にさざ波が立つ。人に会うことなく、静かに過ごしたい。

  またはじめる勇気をもつことができるのでしょうか。いつになったらそんな勇気が湧(わ)いてくるのでしょうか。いつの日か勇気が湧いたら、もしもその日が来たら…

 「家族であの子のことを話せればいいな」。五人で紡いできた家族の記憶。何度も語り合うことで、ずっとこの先も、残していきたいと思うから。

おわり
(鎌田倫子)

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