姫路での黒田家の“原点”
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| 黒田家の姫路での原点となった広峰山。広峯神社から市街地を望む=姫路市広嶺山(撮影・岡本好太郎) |
姫路駅からバスで約十五分。広峰山のふもとが終点だ。新緑の間から時折のぞく市街地を眺めながら、山道を登る。
司馬遼太郎の「播磨灘物語」では、黒田官兵衛の祖父重隆が備前福岡(現・岡山県瀬戸内市)から播州に流れてきた際、家族で身を寄せていた豪農竹森新右衛門の勧めで登った、とある。
いわば、黒田家と姫路の最初の接点。頂上近く、広峯神社に着いた。
農耕などに欠かせない暦(こよみ)をつかさどる神をまつる。室町時代中期に再建され、国指定重要文化財でもある本殿は格式の高さを感じさせる。
この広峰で、黒田家は家伝の目薬を売って財を成し、頭角を現したとされる。幸田精久(きよひさ)宮司(47)にルーツを聞いた。
「実は、目薬の木はこの辺りには自生していない。黒田家は広峰山を拠点に活動しながら、目薬は姫路の浜手で生産したと聞いています」
当時、広峰山には神主に仕える御師(おし)がいた。御師は神社の神符(おふだ)や暦を売り歩いて生計を立てていた。重隆は御師の家に寄宿し、神符とともに目薬を売り歩いたという。
「広峯の神符は、北陸から中国地方まで届けられた。集落を回るため、その土地の事情がよく分かる。後の官兵衛の戦略にも役立ったのでは」
幸田宮司と歩く。最盛期、百五十軒近くあったという御師の屋敷も、人が住んでいるのは一軒のみ。ただ、山道沿いの随所に古い家が残る。
昭和三十年代まで御師だった魚住寿太郎さん(74)=姫路市城見台=に会った。時々自宅跡を訪れては清掃するという。
「若いころ、加西や佐用まで行って神符を配った。今は農業の形も変わってしもたからなあ」
魚住さんは、懐かしそうに、押し入れの神符や行李(こうり)を見せてくれた。
神社を後に、山道を戻る。眼下に姫路の街並みが広がる。真ん中辺りに姫路城。海に向かって広がる肥沃(ひよく)な平野は、黒田家の人々に、どのように映っていたのだろうか。
◇ ◇
播磨各地の名作の舞台を訪ねる新シリーズ。第一弾は、司馬遼太郎が「播磨灘物語」で描いた、豊臣秀吉を天下人にした知将黒田官兵衛ゆかりの地を歩く。
(安福直剛)
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【メモ】
広峰山は標高約300メートル。広峰までは姫路駅前から神姫バスで約15分。片道大人200円。1日15本運行。広峯神社は、バス停から約2.5キロ。徒歩約50分。神社内は文化財が多数あり、展望台からは市街地や播磨灘が見渡せる。神姫バス姫路駅前バスターミナル 079・285・2990、同神社 079・288・4777
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