お隣はニュータウン  ―北区長尾町からの報告
中.シンボル (2007/07/25)
地域の中にある学校
長尾小では、上津台と長尾町の児童368人が学ぶ=北区上津台3

 体長二メートルもの牛がずらり十六頭ずつ、二列に並んでいる。五月、長尾小学校三年の児童たちが、北区長尾町の酪農家西ノ上(にしのうえ)強さん(58)の牛小屋を訪れた。授業での見学は、初めてのことだ。

 「なんで角がないの」と質問する子。牛を間近に見て驚く子。出荷先の牛乳の名前を教えると「飲んだことある」と、返事があった。子どもたちは「ありがとう」と言って、帰って行った。

 同校は一八八四年の創立。この春、長尾町から、ニュータウンの上津台へと移転した。「引っ越しても長尾町のことをしっかり児童に伝えたい」。牛小屋見学の意図を先生から聞き、西ノ上さんはうれしかった。「来年は、もっと牛のことや仕事について説明したい」と期待する。

 かつて有馬郡に属していた長尾町は、米どころだった。「終戦直後、米価が上がって農家は栄えた。祭りや催しには、すぐに大勢が寄り合った」。現在の長尾町自治会長、片山輝雄さん(71)が回想する。

 その豊かな農村の“シンボル”が、長い伝統を誇る長尾小だ。「学校のためなら住民は力を惜しまなかった」と片山さん。一九五五年に長尾町が神戸市と合併しても、住民の学校への愛着は変わらなかった。七一年、校舎の裏山にあたる「日歩(にっぽ)が丘」を、住民が協力して整備し、遊具を置いた。七七年からはアスレチックコースも設けた。

 長尾町の会社員、流田(ながれだ)時夫さん(52)は東京の広告会社に就職したが、長男が二歳のとき「長尾小に通わせたい」と、会社を辞め帰郷した。「学校が“ふるさと”という意識がある」と流田さん。学校と地域の一体感がある故郷で、子育てをしたいと思った。

 そんな学校の移転は、住民には衝撃だった。校名は引き継がれたものの「町のシンボルが消えた」との声も漏れる。

 長尾町に住むPTA会長の前(まえ)勝弘さん(54)は、こんな指摘をする。「これまでは学校がある長尾に、上津台の保護者も来て、地域間の交流ができた。移転で、学校から長尾という存在が薄れないか」

 長尾町と上津台。双方の住民が交流する場は多くない。新しい役割が、学校に期待されている。

 真新しい校舎に、六年生たちが練習するリコーダーの音色が響く。

 外観はセメント張りだが、教室や廊下など内装には木が使われている。建築家、安藤忠雄さんが「旧長尾小のような校舎に」という児童たちの希望を踏まえて設計した。

 「子どもたちには長尾も上津台もない。『地域をつなぐ学校』と言うと、両地区が分かれているみたい。むしろ『地域の中にある学校』です」。山口登校長(59)は、そんな気配りのある言い回しをした。

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