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(掲載日:2002/08/13)
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五月から八月にかけ、「シリーズ学校」1〜4部を、兵庫県内の小中学校を舞台にお届けした。学級崩壊、教師の資質、ゆとりと学力、いじめ…。教育が抱える課題はあまりに多い。だが、何がどこまで本当で、深刻なのか。私たちはまず、教室の今をありのままに見たいと思った。そして連載でも、あえて是非を問わず、現場の姿を伝えることに力を注いだ。ここでは、取材を通じて記者が感じたことと、教育関係者が連載から読み取ったことを、中間的なまとめとして報告しよう。(企画報道班) |
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先生の力 子に歴然/大人社会のゆがみ背に 三月に五人で取材を始めて以降、多くの教師たちに出会い、いくつかの学校に、授業への同席、教師と児童・生徒からの聞き取りを含む取材を申し入れた。職員会議に諮った上で拒否を伝えてきた校長もいた。「実情開示」に、学校はまだ抵抗感を持っていた。私たちは、開かれた扉から学校へと入っていった。 ◇子どもは変わったか 子ども社会が変わったのか―は、私たちが現場で確かめたいと思った一つのポイントだった。 「本質は昔と変わらない」と先生たちは言った。しかし、取り巻く環境は激変していた。 少子化の影響が大きいのだろう。虐待が社会問題化する一方で、取材した親の大半は、子どもにあふれんばかりの愛情を注いでいた。それは過保護、過干渉と紙一重にも見えた。そして子どもは、近所の異年齢の子と遊ばなくなっていた。ガキ大将が消え、子どもなりに社会のルールを覚える場は確実に減っていた。 それは、保護者と学校の関係をも大きく変化させた。家庭で「良い子」が、学校では好き放題に振る舞う事例をいくつか見た。一人の子をめぐる保護者と教師の見方は食い違い、不幸な学校不信の一因になっていた。 ◇大人社会の鏡 教育現場のしんどさは、中学校に凝縮されていた。今が楽しければいい、人のことは関係ない―。小学生のころから身に付けていただろう価値観が、中学で一気に表に出始める。生徒に寄り添いつつも揺るぎない教師との出会いがあれば、子どもたちはそんな自分を問い直す。しかし、いなければ、歯止めはかからない。荒れは今、多くの生徒にたやすく“伝染”してしまう。 きっと、大人社会のいびつさが、そのまま学校に持ち込まれているのだろう。学校をよりよく変えることは、地域の大人たちを巻き込まないではやはり難しいと、思わないではいられなかった。 ◇新しい教師像 連載では、子どもと向き合おうとする先生たちが登場した。「うちの学校にもいるよ」と多くの手紙をいただいた。「全く反対の教師がいる」との指摘も尽きなかった。「子ども」の視点がない、自分の機嫌で怒る、保身に走る、自信がない…。 当てはまるのだろうと想像できる先生は、確かにいた。彼らはおおむね、記者を避けた。 かつて教師は、その職で尊敬され、一目置かれた。今は違う。威厳をかさに着て、上から指導しようとする先生は、生徒たちに受け入れられていなかった。新規採用数は減り、教諭の平均年齢は急速に高まっている。活力の持続と、一部は発想の転換を求められるベテラン教師は、大変だろうな、と思えた。 しかし、絶え間ない努力を通じて子どもの「尊敬」と「信頼」を勝ち得たとき、教師は今も、素晴らしい職業であり続けていた。 秋、「シリーズ学校」の舞台は、高校に移る。 |
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学校と教師に説明責任ある 武田 政義さん 兵庫県教育長 森田先生は自分の教育方針に自信を持ち、その中身を子どもにも保護者にもきちんと伝えている。担任としての説明責任を果たしている。 個性が強い先生は、自分の価値観を子どもに押し付けてしまう危険性があるが、森田先生のように学級通信を使って日常的に保護者に伝えていれば、仮に押し付けのようなケースが起こり得る場合にも修正がきく。だから、安心して読み進められた。 学校は問題を隠そうとしがちだが、「13歳のたけくらべ」で感じたのは、教師と生徒、保護者が共に問題を認識したとき、解決のスタート地点に立てるということ。学校はもっと保護者や地域にオープンであるべきだ。 六甲山小のような小人数学校は、県内には各地にある。長所とともに、集団の中で育つという点で子どもにとってのマイナス面はないのか。教師たちには不安もある。 先生たちは一連の連載を、自分に置き換えて読んでいると思う。自分ならどう対処するかを考えてほしい。 地域の人も保護者も、「なぜうちの学校ではできないのか」と思うことがあれば、どんどん学校に言ってほしい。答えは一つではない。違うやり方を選んでいる学校もあるだろう。学校はそのことを、きちんと説明する責任がある。 (談) |
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| 子どもを「信じる」姿勢、常に 坂本 繁さん 神戸学院女子短大教授(元神戸市教委指導部長)
どうすれば、教師と児童・生徒の間に信頼関係が生まれるか。それは、何があっても子どもたちを信じる、という教師の姿勢に尽きる。 「森田学級」の森田先生は、求められる教師のあり方を示した。 先生はとても厳しかった。「厳しさ」は、子どもたちに嫌われる要素を持っている、ということだ。ところが、先生が好かれているのはなぜか。厳しくはあるが、児童一人ひとりを肯定的に見つめたのが理由だろう。 例えば、合格点に届くまで繰り返した居残り学習では、「居残りは恥ずかしいことやない」「合格が遅くても、できたことには変わらへん」と児童に声をかけている。やる気を引き出す、細やかな気配りだ。 子どもには「あかん」と否定されることが最もつらい。何気ない教師の一言に「見捨てられた」と敏感に感じるものだ。 教科担任制になる中学校では、生徒との日常的なコミュニケーションはよりとりにくくなるが、それも教師の工夫次第。例えば昼食を一緒にとる、交換ノートを続ける。「荒れ」が起きてからでも遅くはない。「13歳のたけくらべ」でも、「信じる」という姿勢が生徒に通じたのだと思う。 シリーズを通し、学校の説明責任の大切さを痛感した。保護者全員がPTA役員だという六甲山小、学級通信で児童と保護者に語りかけた森田先生。「たけくらべ」も地域や保護者に現状を隠さず伝え、協力を求めた。新聞連載になったこと自体、大きな情報開示だ。 「開かれた学校」というと物理的な側面が論議されがちだが、本来は地域や保護者にどれだけ情報を開示しているか、という趣旨のはず。 学校側は親たちが気軽に立ち寄れる環境づくりをすべきだし、保護者自身も行動する必要があるだろう。 (談) |
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魅力ある授業へ一層の努力を 安原一樹さん 兵庫教育大助教授(社会教育) 四月から導入された新学習指導要領には、「特色ある学校づくり」が一つの目標として掲げられている。学校や教師の力量がこれまで以上に問われている、ということだ。 「六甲山小」は、非常に狭い範囲ではあるが、子どもと保護者に「学校選択」のチャンスをもたらした。ここの特色は、究極の小人数と豊かな自然環境にある。必然的に教師は児童一人ひとりに目が届きやすくなるが、環境を生かし、子どもの「個性」を引き出せるかどうかも、教師の腕次第だと思う。 学校選択は時代の流れになるだろう。長所、短所はあるにせよ、学校や学級をどう活性化させていくか、教師たちの競争意識が高まる、というメリットは大きい。 個性が主張され、保護者の学校に対する視線が厳しくなるなか、「自信が持てない」という教師が増えてきた。保護者は子どもの通う学校を主観的に見がちだ。「森田学級」のように、強い指導力を発揮するには情報を開示し、保護者との信頼関係を築くことが大切。もちろん、保護者受けでなく、子どものことを考えて行動すべきだが。 学習塾はじめ、学校外での教育機会は格段に多くなった。そんな今の子どもたちの興味をいかに引き出し、魅力ある授業をつくっていくか。大げさかもしれないが、「生き残り」をかけた教師たちの一層の努力が求められる。 (談)
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