第13部 脱 失われた10年

(2008/04/20)

(3)ものづくり復権
地方から世界標準車 外資傘下で伝統守り
「少年時代を過ごした裏六甲には数えるほどしか自動車がなく、興味を持った」と語る井巻久一さん=広島県府中町、マツダ本社(撮影・山口 登)

 自動車メーカー、マツダ(広島県府中町)本社ショールームで、会長兼社長の井巻(いまき)久一(ひさかず)(65)は新型車に目を細めた。

 二〇〇三年、米自動車大手フォードの傘下入り以来初めての日本人社長に就任した。「外資の系列となっても、言うべきことは言った」と振り返る。井巻のトップへの歩みは、会社の復活と重なる。

 バブル経済崩壊後の一九九〇年代、マツダは販売網の拡大路線が裏目に出て経営が悪化。九六年、フォードが経営権を掌握し再建に乗り出した。井巻は、四人続いた米国人社長の下で本社工場長、副社長などを任された。フォード首脳陣が付けたニックネームは「ミスター・マニュファクチャー(製造)」。現場をよく知る存在として頼りにされた。

 九九年から二〇〇二年まで社長を務めたマーク・フィールズ(現フォード副社長)にも、ためらわず進言した。「沈黙は金(きん)。農家が精魂込めて作ったコメを食べ残すな―と教育を受けて育った日本人を理解する気はあるのか」

 西宮出身で、姫路工業大学(現兵庫県立大学)を卒業して入社。工場の生産システムを担当する職場に配属され、熟練の職人に多くを教えられた。「信頼を得ようと毎日が全力投球だった」。役員となってからも現場の代表者らとの酒席に時間を割いた。

 かつて世界一とされる高い技術力を誇った日本の製造業は、バブル崩壊後、円高による海外移転や国際競争の激化で地盤沈下した。自動車産業も国内生産台数は九〇年をピークに減少。世界的な再編が進み、九八年に独ダイムラー・ベンツと米クライスラーが合併。九九年、日産は仏ルノーと提携し、トップのカルロス・ゴーンが大胆なリストラで業績をV字回復させた。

 同じころ、マツダも早期退職や工場の一時閉鎖を進めたが、フィールズは技術力を高く評価。運転の楽しさを追求するブランド戦略を展開し、景気回復も追い風に〇二年以降、業績は上昇を続けた。

 業界に先駆けた一ラインで複数車種を製造する「混流生産ライン」などの優秀な技術は、中国のフォード・グループ工場に採用された。経営会議も日本語にした。「フォードは現地に合わせる懐の大きさがあった」

 〇八年、小型乗用車デミオが各国の評論家らが選ぶ「世界カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。環境分野では水素エンジンの開発に挑む。

 井巻の入社当時、後発ながら世界初となるロータリーエンジンの実用化に挑んでいた。面接を受けた開発部隊のリーダー山本健一は後の社長。井巻は山本以来の生え抜きのトップとなり、ものづくりの伝統と誇りを受け継ぐ。

 「部品一つまで、携わるすべての人が世界に通用する車を造るんだという気持ちになれるか。広島から挑戦する」

 重責を担う今、自らと社員に言い聞かせる。(敬称略)

独自技術で 新分野を開拓
中小企業、垣根越え知恵結集
新型PDPの前で「技術は愛。開発は子育てのよう」と語る篠田傳さん=神戸市中央区港島南町4、篠田プラズマ(撮影・山口 登)

 二〇〇二年以降、景気回復をけん引したのは製造業だった。兵庫県内の「ものづくり」の現場でも、独自の技術やチャレンジ精神で新分野への道を切り開いた。

 尼崎市や姫路市で、松下電器産業の薄型テレビ用パネルの大型投資が話題を呼ぶ中、昨年六月、プラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)の開発拠点が神戸ポートアイランド2期に誕生した。「篠田プラズマ」。会長の篠田(しのだ)傳(つたえ)(59)は元富士通の研究者で「PDPの生みの親」といわれる。

 松下の数千億円規模の投資に対し、初期投資はわずか二億円。投資額が極端に少ないのは、大型のガラス基板が不可欠な通常のPDPとは違い、細いガラス管を使うためだ。赤・青・黄の蛍光体が入った直径一ミリのガラス管を並べて電極フィルムで挟む。管の中で無数の放電現象を起こして蛍光体を発光させ、映像を結ぶ。表示部分の厚さはわずか一ミリ。「薄くて軽く、曲げられるのが特徴。消費電力も抑えられる」

 篠田は山口県出身。広島大大学院を修了して一九七三年、富士通に入社し、明石の研究所に配属された。病気と闘い、開発中止の危機にも屈せず、十年がかりでカラーPDPの基本構造を解明。大型化、フルカラー化を経て九二年に量産化モデルの開発に成功した。

 だが二〇〇五年、富士通が薄型パネル事業から撤退。東大などでも研究に従事し、プラズマ一筋に生きてきた篠田は、迷わず独立を決意した。

 「デスバレー(死の谷)」という経済用語がある。先端技術が製品化する前に頓挫する現象である。篠田は、何としてもこれを避けたかった。ポーアイ2期を選んだのは、一緒に独立した富士通時代の同僚七人が転居せずに移籍でき、開発に専念できるからだ。「目指すは電子ポスター=Bイベント、展示会で商品広告を流せば、新たな広告媒体を創出する可能性がある」

 篠田プラズマが拠点を置くポーアイ2期は、阪神・淡路大震災後の経済復興策として医療産業都市構想が進む。現在、ベンチャー企業を中心に百二十五社が進出する。

 その中で地元の中小企業が手を結んだのが、医療器具の共同開発会社「神戸バイオメディクス」(KBM)だ。〇三年、金属加工関連の約五十社で設立。「仕事が減り、最も厳しいときだった。需要開拓に懸命だった」。社長の鶴井孝文(61)は振り返る。

 KBMが取り組んだ機器開発は約六十。神戸大学と共同開発した腹腔(ふくくう)鏡手術で使う医療器具。国産初のMRI(磁気共鳴画像装置)用手術器具セット。患者の指や腕に光を当て血管を見やすくする血管検索器など。いずれも個々の企業が培ってきた独自技術が生きた。鶴井は「医療・福祉に特化した全国でも前例がない中小企業共同体の意義は大きい」と力を込める。

 震災後、中小企業の連携が相次いだ。自然エネルギー発電施設を開発する企業グループ「ワット神戸」も、その一つ。環境先進国ドイツへの視察団の参加企業を中心に〇一年、旗揚げした。割高な太陽光発電を導入する市民意識の高さに感銘し、「国内でもエネルギー自給の気運が高まれば新分野進出の糸口になる」と読んだ。

 現在、神戸の部品加工、電気工事など約三十社が参加。環境意識を広めるため、〇三年に特定非営利活動法人(NPO法人)も設立した。これまでに、風速一・五メートルで発電する小型風力発電装置などを独自に開発した。会長の津田久雄(64)は「一社でできることは限られている。得意分野で知恵を出し合い、自立することだ」。

 連携には、企業同士を結ぶパイプ役も重要だ。兵庫県は〇三年、外郭団体・ひょうご産業活性化センターに総括コーディネーターを配置し、初代に吉岡昭一郎(71)が就いた。制御機器メーカーの創業者で一線を退いた後、過去に築いた技術と人脈を武器に企業同士をつなぐ。最近、県内百六十社の交流会発足に力を注いだ。

 「いくら優れた技術を持っていても中小企業の経営は必ずしも順風とは限らない。力を発揮するには、提携やM&A(合併・買収)も有力な選択肢だ」

 中国との価格競争で疲弊する地場産業にも、ものづくり魂は息づく。西脇を中心とする播州織物業界に新風を吹き込むのは、織機販売・開発の「片山商店」社長、片山象三(しょうぞう)(47)だ。

 圧倒的に優位な中国に挑んだのは、やはりコスト低減だった。新型織機「アレンジワインダー」を〇四年に開発した。色や材質などの違う縦糸を一本の連続した糸に結ぶ装置だ。違う色柄の生地を織る場合、従来は織機を一度止めて縦糸を交換したが、新装置は縦糸を取り換える必要がなく、最大で八割のコスト低減に成功した。

 〇五年に政府の「第一回ものづくり日本大賞」に選ばれた。海外からの引き合いも多いが、すべて断っている。「産地振興のため、この装置は外に出さない」

 片山は五代目の社長。西脇で生まれ育った。「播州織は、どんなに年老いてもできる仕事がある。地元でお金が循環し、みんなが幸せになるのが地場産業だ」

 地域から世界を目指す「ものづくり」へのチャレンジは続く。(敬称略)

(経済部・内田尚典、大久保 斉)

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