
(2009/05/10)
(2)造船
貿易立国支えた技術
今は近代産業遺産となった乾ドックの現役時代≠語る山根博さん。背後に神戸の街並みを望む=神戸市中央区東川崎町3、川崎造船神戸工場(撮影・内田世紀)
どれだけの船を送り出したのだろう。川崎重工業の造船部門から独立した川崎造船神戸工場(神戸市中央区)の、登録有形文化財「船舶修繕用第一ドック」。御影石を積み上げた壁面に、飛び散った無数の塗料が染み込み、年季の入った模様を描く。
およそ長さ百六十メートル、幅二十四メートル、深さ七メートル。船を引き込み、海水をすべて排出して船底まで露出させる「乾ドック」として、川重の前身・川崎造船所の創立から間もない一九〇二(明治三十五)年に完成し、一世紀を超えた。
熟練工の山根博(60)=三木市=は、かつてここで仲間とともに、汗と油にまみれた。「夜通しの作業も珍しくなかった」貿易立国・日本の繁栄を、船底から支えた。
六七(昭和四十二)年、親類の勧めで尼崎の会社から川重に転職。中学を出て養成工で三年修業し現場に配属されるのが通例だったが、山根は高卒一期生となった。配属先は船の心臓部・ディーゼルエンジンの整備部門。「先輩に怒られ、仕事は見て覚えた。十年辛抱しろと言われた」
二十六歳で五、六人の職人を束ねる立場に。直径が一メートルもあるピストンの抜き取りなど、エンジンの分解や修理で経験を積み、人望を集めた。「外から見えない不具合を直す、船の医者ともいうべき仕事」だ。
やがて修繕作業はアジア諸国に移り、山根は今、新船建造の現場に加わる。寂しさの一方、フィリピンで計五カ月間携わった技術指導を回想し胸を張る。「英語を勉強して懸命に伝えた。自分たちの技術が海外で生きている」
尊敬する先輩の一人が、山本征男(68)=神戸市西区。山本は「自分は好き嫌いが激しい。山根とは気が合っただけ」と素っ気ないが、今も家族ぐるみの付き合いが続く。
「思った以上に船の傷みがひどいこともある。契約に間に合わせるため職場同士で助け合うから、結束が固まる」と、山本。一日の仕事が終われば一緒に風呂を浴び、近くの酒場で杯を重ねた。
〈造船所の正門にいたるまでの界隈(かいわい)は労働者相手の大衆食堂や酒場が軒をつらね(中略)働く人びとの熱気でいつもむんむんしていた〉
神戸市出身の作家・故灰谷健次郎は、七八年発表の小説「太陽の子」で、下町のぬくもりを描く舞台として、大小の造船所が集まる川重神戸工場周辺を登場させた。山根は近くの兵庫区西出町出身。「(鉄板をつなぐ)リベット打ちの音を聞いて育った。中小型船修理用の浮きドックは、格好の遊び場だった」と懐かしそうに振り返る。
灰谷の妹(65)は、山本の妻。父は三菱重工業神戸造船所で旋盤工をした。「神戸の人間の多くが、船造りに連なる仕事をしてきた」。山本夫妻の言葉だ。(敬称略)
巨大な鉄塊に命吹き込む
知恵絞り苦労重ね、仕上げる喜び
船台で建造中のコンテナ船後部。「スクリューの取り付けはこれから」と説明する濱田敏郎さん(左)と横山昇さん=神戸市兵庫区和田崎町1、三菱重工業神戸造船所(いずれも撮影・内田世紀)
「支綱(しこう)切断!」の号令一下、最後の留め具が外され、巨大な船体は水しぶきを上げて港に滑り込む。くす玉が割れ、祝い酒の香りが漂う。
華やかな進水式は、現場職人の晴れ舞台でもある。和田岬の三菱重工業神戸造船所(神戸市兵庫区)で、熟練工の濱田敏郎(61)=三木市=は二百隻近くを見送った。「いつも感動するが、式典中は緊張で体の力が抜けたようになる」と笑顔を見せる。
全長二百―三百メートルの貨物船を、クレーンで組み立てる「船台(せんだい)」が仕事場。船体を構成する分厚い鉄板のブロックを、設計図通りの位置に据え付ける作業が本職だ。地上数メートルから時には数十メートルの高さにもなる足場で、進水のため船台につけられた傾斜も頭に入れて微調整する。
工期短縮のためブロックも大型化し、練達の技が求められる。「美しい船を仕上げる喜び」を後輩に託したいと思っている。
「進水した船に、命を吹き込むのが仕事。鉄の塊に燃料や潤滑油、冷却水を通わせ、息づかせる」。横山昇(56)=神戸市西区=は「船底(ふなぞこ)一筋」に、エンジンを微調整する匠(たくみ)の技を培った。
全長三百メートルのコンテナ船に積むディーゼルエンジンは約千八百トン。スクリューに動力を伝える主要部品のクランク軸は、冷えた状態では重さでたわんでいるが、運転時には「真っすぐになる」。その状態を予測し、百分の一ミリ単位の精度で固定する。成否が、運転性能に直結する。
一九九五年一月の阪神・淡路大震災では、完成直前のコンテナ船にクレーンが倒れた。被災した神戸の代わりに作業場所となった横浜の工場まで付き添い、半月かけて仕上げた経験が忘れられない。
すべての苦労を積み込んだ船が、進水式で世界へ旅立つのを眺め、「ええなあ」とつぶやく。
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大型船舶用クランク軸製造で世界首位の神戸製鋼所(神戸市中央区)。高砂製作所(高砂市)には完成品が並び、鈍い光を放つ。複数の鋼を組み合わせて品質と生産効率を高めており、大きいもので長さ二十メートル以上、重さ三百トンもある。
神鋼が「運命共同体」と頼りにする下請け加工会社がある。一九一五(大正四)年創業のきしろ(明石市)。独自の改良を重ねた工作機械で、ピストンと連結させるためのクランク軸の深い溝を正確に削り出す。神鋼高砂製作所内にも工場を構える。会長の松本好雄(71)は「世界に二つとない機械を生み出してきた。韓国などライバルも優れた設備を導入しているが、染み込んだ苦労が違う」と、匠集団の自信を見せる。
今春、三十七年間務めた社長職を長男に譲ったばかり。「新体制でより強い信頼を得て、造船向けに培った技術でエネルギー分野にも挑戦する」と意気込む。
造船業界は二〇〇三年以降、新興国の経済発展による輸送貨物の増加で、建造ラッシュに沸いた。国内の造船会社は数年先までの受注を抱えている。しかし、ここにきて世界同時不況が深刻化し、新規受注に陰りが見える。
石油ショックなど度重なる造船不況をくぐり抜けた、瀬戸内海の造船業界の雄・尾道造船(神戸市中央区)。濱根義和(65)は社長歴二十七年。「多くの統合、廃業を目の当たりにした。独自の製品力が問われる」と力を込める。
化学工業原料やジェット燃料を運ぶ海外向けタンカーが主力で、「川をさかのぼる古い港も含め、世界中のあらゆる港湾に入れるサイズ」を量産してきた。神戸と中国を結ぶフェリー「燕京(えんきょう)」「新〓真(がんじん)」も建造した。「どんな船が求められているか、知恵を絞る。良い値で売れたら、そりゃあ面白い。やめられん」
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川崎造船の熟練工山根博(60)が幼少期、遊び場にした兵庫区西出町の船舶修理会社・神戸ドック工業。貨物船やフェリー、埋め立て工事用の運搬船、タグボート、遊覧船など、ミナトを行き交う多彩な船の修理を請け負う。社長の玉井裕(47)は「浮きドックは船体があらわになる。町なかで気軽に見られるのは珍しいと、訪れる人もいる」と表情を緩める。
かつて神戸に本社を置いた海運会社・玉井商船(東京)の創業一族。大学を卒業し電機メーカーに六年勤めた後、前社長だった父の「手伝ってもらえないか」という言葉で経営に加わった。
外航貨物船の修繕は人件費の安いアジアに移ったが、国内を運航する船を相手とする中小修理会社の役割は残った。「おたくが無くなったら困る、と言われる取引先も複数ある。特定の船の修繕に絞る道もあったが、間口を広くしておいてよかった」
修繕がほぼ終わり、塗装を一新した貨物船が、岸壁の景色に映えた。「これからも日本有数の港、神戸で生き続けていく。子どもたちが働きたいと思ってくれる職場でありたい」と、玉井は願った。
(敬称略)
(経済部・内田尚典)