週明けの教室は、異様な熱気だった。
朝から自習する子どもたちを見るのは、良太も初めてだった。子どもたちのおしゃべりが教室から消えてしまったようだ。始業まえも、昼休みも、放課後も、いつもならはしゃいでいる子どもたちが、到達度試験のために復習をしている。去年までの3組とは別なクラスのようだった。これほどの集中力はいったいどこからでてくるのだろうか。おかしなことに授業時間よりも、休み時間の自習のほうがクラス内の緊張感は高いのだ。
水曜日の放課後、良太は職員室をでて図書室にむかった。国語のプリントでつかう例文を探すためだ。下駄箱のまえをとおると、ちょうど本多元也がうわばきをはき替えるところだった。
「ちょっといいかな、本多くん。話があるんだけど」
去年の春とは違う生きいきとした表情だった。あのころはいつもなにかに耐えるような顔をしていたが、今は目に光がある。
「はい、いいですけど」
良太は校舎をでて、水のみ場の横にあるベンチに座った。元也もランドセルを背負ったまま、浅く腰かける。いつも姿勢のいい男の子だった。
「最近、うちのクラスは勉強すごくがんばってるみたいだな。休み時間にもぜんぜん遊びにいかないし」
それとなく話を振ってみる。校庭で遊ばない子どもたちが、すこし気がかりだったのだ。
「だけど、あと一週間だけですから。みんなでがんばって同じ目標にむかうって、すごい力がでますね。ぼくは自分の勉強だけなら、あんなに一生懸命になれないです」
「本多くんはいつも誰を教えているんだ」
「上原さんです。よくがんばっていると思います」
元也ははきはきとこたえた。頭のいい子だ。良太は副校長にきいた言葉をたずねてみた。
「ところでさ、ハイテンってどういう意味なんだろう」
すこしだけ笑って、元也はあっさりといった。
「うちのクラスの成績上位十人のことです。クラス競争では平均点が勝負ですよね。もともとあのドリルはそんなにむずかしい問題はでないから、できる人はみんな九十点とかとっています。平均点をあげるには、成績のよくない人の点数をあげるのが大事ですよね」
子どもたちは大人と同じように頭がまわるものだ。
「それで、ハイテンの子が成績のよくない子を教えているんだ」
「そうです。中間の人は自分で勉強して、できる子はできない子を助ける。今うちのクラスはすごくいい感じで試験対策ができていると思います」
それにしても、気になることがあった。良太は三人の男子に教室を追いだされたとき、最後に見た上原夢佳の目が忘れられなかった。あれはSOSの信号をだしていたのではないだろうか。
「じゃあ、きくけど、ハイテンがあるなら、ローテンもあるんだよね」
元也は子どもたちが遊んでいる校庭に目をやっていった。
「はい。うえがあるなら、したもある。そういうのはしかたないことですよね。大人の社会だって同じで、もっともっと厳しいんだって、お父さんからききました」
成績下位の十人がローテンか。平均点をアップさせるには、底あげが一番というのもあからさまなら、低い十人というローテンという呼び名もストレートだった。
「そういえば、本多くんのお父さんだったかな、校長先生に電話したの」
元也は悪びれずにあっさりといった。
「そうですよ。だって、1組や5組がズルをしてるのは、みんなしっています。授業時間をドリルのためにつかうなんて、いけないことでしょう。ぼくはただ公平な形で、試験をしてほしかっただけです。お父さんにそういったら、学校に電話をかけてくれました。中道先生もそのほうがいいでしょう。学年主任の富田先生にはいいにくいでしょうし、正々堂々闘おうっていつもいってるじゃないですか」
元也のいい分には文句のつけようがない。だが、そのただしすぎるところが、良太には引っかかった。子どもも大人も同じだが、それほどただしいことばかりしていて、だいじょうぶなのだろうか。どこかにちいさな悪や引け目やずるさがある。それが生きていくには、ちょうどいいバランスではないだろうか。だが、これは小学校5年生にはとてもむずかしいことなのかもしれない。教科書にはただしいことばかり書いてあるし、大人はただしいことしかいわない。
良太は優秀で敏感な子どもを見た。元也が異様に強い目の光で見つめ返してくる。
「でも、クラス競争で一番になりたいのは、中道先生のためですから。ぼくがほんとうに困ったときに、先生はほかのクラスのみんなを放りだして助けてくれた。日高くんの火事のときだって、みんながなにをいってもかばってくれた。今度のことは全部、先生になにかお礼がしたいなあって、日高くんとぼくが話しているときに始まったんです」
そうだったのか。担任のしらないところで、子どもたちは考えているものだ。
「それで、クラス競争の一番になろうって思ったんだ」
「そうです。中道先生のことをバカにするみんなを見返してやろう。うちのクラスがほんとうはすごくいいクラスだって、思いしらせてやろう。そう、決めたんです」
「わかったよ。ありがとう。でも、あんまりむちゃしたらいけないよ」
元也はすこし驚いた顔をした。
「誰もむちゃなんてしてないです。みんなで話しあって決めたことだし、自分からすすんでやってるんだから。先生もうちのクラスが一番になったら、うれしいですよね」
むずかしい質問だった。良太は三十年にならない人生のなかで、一番になったことは一度もなかった。
「うん、きっとうれしいと思う」
元也はぴょんとベンチから立ちあがった。さらさらの前髪が乱れて、無邪気な笑顔になった。
「中道先生によろこんでもらえて、よかった。ぼくたちは絶対、5年生の一番になりますから」
ランドセルのフックにかかった体操着袋が左右に揺れていた。ハイテンの子の話はきいた。つぎはローテンの子と話をしなければいけない。良太は元也のちいさな背中を見送って、そう考えていた。
第4部 三月、クラス競争の終わり











