■なんとか夕刊を
トラブルは22日午前8時、神戸ハーバーランドの本社にある組版システムで発生しました。バックアップ系も含め2系統の組版サーバーが起動しないのです。同システムを開発した日本電気(NEC)のスタッフを含め、担当者が何度も克服を試みましたが、成功しませんでした。
午前10時すぎ、緊急時援助協定を結んだ京都新聞社に連絡。11時、正式に紙面製作の援助を要請しました。その日の夕刊は本来12ページ。発行を優先するため、8ページに減らしました。
神戸、京都の両新聞社は、互いの題字をそれぞれに常備し、一方で緊急事態が生じた場合には、一方が紙面づくりを肩代わりする体制をとっています。1995年の阪神・淡路大震災で、神戸・三宮にあった神戸新聞会館(本社)が全壊し、新聞の発行ができなくなったときも、京都新聞社の協力で発行し続けることができました。
記事や写真の交流を日常的に行っていることから、記事送信などの作業はスムーズでした。22日夕刊1面に掲載したコウノトリ放鳥の記事は、神戸から送信した原稿と写真を使い、京都新聞社のシステムで紙面組みしたものです。とはいえシステムの能力には互いに限界があります。夕刊のテレビ面や天気、一部の記事面は、京都新聞夕刊の紙面のまま、神戸新聞に転載せざるを得ませんでした。
組版システムは障害を起こしましたが、広告システムは正常でした。このため、神戸新聞で事前につくり、画像データになっていた広告欄を、京都新聞社に送ることができました。
神戸から届いた記事や写真、広告を使い、京都新聞社の組版システムで神戸新聞の夕刊がつくられました。夕刊の製作はすべて京都新聞社員が担っています。
仕上がった紙面は、京都新聞社から神戸市西区にある神戸新聞製作センターに送信。そこで印刷しました。しかし一連の作業に手間取り、配達が大幅に遅れ、読者の皆さまにご迷惑をおかけすることになりました。
■京都で朝刊作業
夕刊製作を進めると同時に、編集局整理部、情報技術局、広告局の計12人が京都新聞社に向かいました。京都新聞社では休暇の社員まで緊急に呼び出し、支援態勢を整えてくれていました。
朝刊の総ページ数は予定より8ページ減の20ページとし、京都新聞社との協議で、神戸新聞側が京都のシステムを借りて作成する面を、一面、発言と社説のページ、地域面を統合したひょうご交差点の2ページ、社会面の計5個面としました。神戸新聞社員が記事の見出しやレイアウトを考え、京都新聞社員が端末を操作して紙面を組み上げました。
神戸の私立高校3年生の自殺で校長が謝罪したことなど、兵庫県に関係する記事は、引き続き神戸から送信しました。普段と最も違った内容になったのは地域版でした。神戸新聞は地域版の左右両面だけで、平日には計20の版をつくっています。それを2つに統合せざるを得ませんでしたから、大切な地域情報が漏れる結果になってしまいました。
こうした間にもシステムの復旧に向けた努力は続いていました。NEC社とオラクル社の指示する復旧手順をすべて試みましたが、失敗が続きます。同日夜までに、ソフトの再起動や復旧手順の試みは、10数回に上りました。
データベースの蓄積情報を過去のものに戻す方法も検討しました。しかしシステムをより悪化させる恐れがあったため、朝刊作業が終わるのを待って23日未明、障害が起きる1日前のバックアップデータを呼び出し、再構築する措置を実施。ようやく復旧に成功しました。
そのため事前に用意した一部の紙面は失われましたが、23日中にすべてつくり直しました。翌24日朝刊は、特別に平日と同じ版数の地域版を展開し、未掲載分の収録に努めました。