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死去の河島英五さん 被災地支えた熱唱 2001/04/17 熱い歌声をありがとう。十六日死去した歌手の河島英五さんは、阪神・淡路大震災の被災地を歌で励まし続けてくれた。歌詞に込められた人間の素朴な優しさ、生き方へのこだわりを示すように、震災直後から毎年、開いていたチャリティーコンサート「復興の詩」は六回を数え、今年も六月三日、神戸文化ホールでの開催が決まっていた。 復興の詩は、収益を震災遺児のために、と一九九五年に始まった。十年間連続での開催を目標とし、「被災者から入場料をいただくことはできない」と、大阪城野外音楽堂で続けていたが、復興が進み「今後は金銭より、精神的な支援を」と昨年、会場を神戸に移した。寄付の総額は既に千五百万円を超えている。 河島さんが復興の詩を開くきっかけとなったサンテレビジョン第一制作部のプロデューサー、前田和良さん(37)は「震災直後の街を見て、このままでは心が乾き果ててしまう。それを救うのは歌しかない、と河島さんを口説き落とした」と当時を振り返る。数日前にも河島さんのマネジャーと七回目の打ち合わせをしていただけに「体調が悪いことは聞いていたが、あまりにも急だった」とショックを語る。 スタッフとして参加した神戸市垂水区の主婦、大川早苗江さんは「自ら宣伝活動に飛び回り、人の役に立ちたいという河島さんの気持ちが伝わるコンサートだった」。 ほかにも、河島さんは兵庫、大阪で支援演奏会を続けていた。昨年、「ほろよい復興支援IN淡路」を開いた兵庫県津名郡東浦町立サンシャインホールの内海孝館長は「また来てほしいという声が住民から寄せられていた。残念です」。 河島さんは一月に体調を崩し、入院したが、三月には退院。神戸で開かれた長女の結婚式に出席した。 約二カ月の闘病生活で二十キロ近く体重が減ったが、歌への意欲は失わず、倒れる前の十四日も大阪市内でトークショーに出演。七回目となるはずだった復興の詩を楽しみにしていた、という。 素朴で飾らぬ人柄 作曲家森田公一さんの話 あまりにも突然な、早過ぎる死に驚いている。音感が良いとかリズム感がいいとか、そういったテクニック的なものを飛び越えたものを持っている人だった。私が作曲した「時代おくれ」の題名を思わせる、素朴で飾らない人間性が多くの人の心をつかんだのだと思う。「今どき珍しいガッツのある、いい男だな」と好ましく思っていたが、彼自身は生きることに不器用な人だったのだろう。 [ 閉じる ]
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