指先でたどる2人の碑名 遺族代表・白木さん
2002/01/17

 午前五時四十六分の時報。白木利周さん(59)はすっと背を伸ばし、静かに目を閉じた。

 「震災七周年追悼の集い」が開かれた神戸市中央区の東遊園地。遺族代表で参加した白木さんは、人の波から少し離れ、その時を迎えた。

 同市東灘区御影町郡家の自宅は全壊、長男の健介さん=当時(21)=を失った。昼は郵便局で働き、夜は神戸大経済学部で学ぶ頑張り屋だった。一家は利周さんの会社の施設へ避難した後、川西市、伊丹市と転居を繰り返した。

 昨年十月、神戸市北区菖蒲が丘にわが家を再建。しかしその翌月、家族は再び悲しみを味わった。妻の朋子さんが亡くなったのだ。五十八歳だった。他の遺族との交流で明るさを取り戻したかに見えたが、昨年六月、食べ物も水も受けつけなくなり入院。新居で暮らすことなく、息子のもとへ旅立った。真新しい家には、長女(25)と二人だけになった。

 この朝、東遊園地にともり続けるガス灯「1・17希望の灯(あか)り」を、利周さんは参加者にろうそくで分けていった。震災丸五年の二年前、妻も一緒にともした灯り。いとおしそうに、ろうそくの火を手で覆った。ポケットには、妻と息子の二人の写真があった。

 追悼の集いであいさつに立った後、「慰霊と復興のモニュメント」に刻まれた息子の名に触れた。そして今年は、モニュメント建設の寄付者にある妻の名にも。

 今、「希望の灯り」を後世に伝えるNPO(民間非営利団体)法人の設立準備が進む。利周さんは、設立発起人の一人に推された。

 「必要とされるんだから、いいんじゃない」。娘はそう言ってくれた。

 兄と母を見送り、自分を支えてくれた娘。兄の思いを継ぐように、郵便局で働き始めた。

 (磯辺康子)

[ 閉じる ]
Copyright(C) The Kobe Shimbun All Rights Reserved