建築家 清家清氏が死去 旧制神戸二中出身
2005/04/10

 日本の建築デザインと西洋文化を融合した建築家で、東京工大、東京芸大名誉教授の清家清(せいけ・きよし)氏が八日午前十時四十二分、肺炎のため東京都大田区の病院で死去した。八十六歳。京都市出身。連絡先は東京都港区芝五ノ二六ノ二○、デザインシステム。葬儀・告別式は二十二日午後一時から東京都港区南青山二ノ三三ノ二○、青山葬儀所で。喪主は長男で慶応大教授の篤(あつし)氏。

 三歳から神戸育ち。旧制神戸二中(現兵庫高)を経て、東京美術学校(現東京芸大)建築科と東京工大建築学科を卒業した。

 日本の伝統的建築美を欧米的な現代住宅に生かしたデザインで知られ、戦後の住宅設計に影響を与えた。吉田五十八賞を受賞した「久が原の家」や森博士邸、宮城音弥邸、自邸などが代表作。

 母校の東京工大校舎、軽井沢プリンスホテル南館、神戸市東灘区の小原流盛花記念センターなど多くのビルも設計。自然や生活環境に配慮した建築で国内外から高い評価を受けた。

 迷信として片付けられていた“家相”を再評価した「家相の科学」や「やすらぎの住居学」など著書も多い。七○年代半ばには「違いがわかる男」のコピーで知られるテレビCMにも出演した。

 日本建築学会会長、札幌市立高等専門学校の初代校長などを歴任。八三年に紫綬褒章、八九年に勲二等瑞宝章を受けた。

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