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地震で倒壊した三和市場をはじめ、白鴎寮の周囲は壊滅的な被害を受けた=神戸市東灘区本山南町1(本山南小学校提供)
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地震で倒壊した三和市場をはじめ、白鴎寮の周囲は壊滅的な被害を受けた=神戸市東灘区本山南町1(本山南小学校提供)
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地震で倒壊した三和市場=神戸市東灘区本山南町1(本山南小学校提供)
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地震で倒壊した三和市場=神戸市東灘区本山南町1(本山南小学校提供)
地震発生時、神戸商船大「白鴎寮」の自治会長だった有田俊晃さん=横浜市中区
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地震発生時、神戸商船大「白鴎寮」の自治会長だった有田俊晃さん=横浜市中区

 体の芯から凍るような寒い夜だった。

 1995年1月17日の前夜、神戸・三宮。神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)3年の有田俊晃さん(41)は居酒屋で友人と痛飲していた。船乗りになる夢と不安。自治会長を務める学生寮「白鴎(はくおう)寮」(神戸市東灘区本山南町1)の運営について。話は尽きない。外の寒さを思えば、帰るのもおっくうだ。始発まで飲むか。それでも重い腰を上げ、阪神深江駅から徒歩10分ほどの白鴎寮の自室で布団をかぶったのは午前3時ごろか。そして--。

 築約40年の白鴎寮208号室。2段ベッドで深い眠りに落ちた有田さんは、地の底からゴゴォーーと地鳴りが迫るのを聞いた。

 午前5時46分。ドーン。最初の一撃が下から突き上げてきた。縦へ、横へ。鉄筋コンクリートの寮ごと揺さぶられる。ラジカセが頭に直撃した。建物ごと倒れそうだ。もう駄目か…。

 揺れがやむ。寝ぼけ眼の寮生たちが部屋から飛び出した。何? 何? 地震?

 動揺する寮生に有田さんは指示する。

 「寮生総員中庭に集合せよ」

 全員で約400人。4棟あり、1フロアごとに寮務委員会が組織されている。1年生の日課は朝の掃除。2年生は後輩の教育係。3年生が自治会役員を務め、4年生はお目付け役だ。航海実習に出れば長期間の共同生活。結束は強い。

 この日、1、4年生の大半は航海実習でおらず、2年生の一部も成人式に出席するため帰省していた。残るのは3年生を中心に約250人。点呼で全員の無事を確認した。

 空が白んできた。

 寮生に自室待機を指示した有田さんは、数人の学生と外に出る。

 土ぼこりの向こうから、住民の声が聞こえてきた。

 「三和市場がつぶれた!」「人が埋まってる!」「助けて!」

   ■   ■

 あの日、平凡な毎日を過ごしていた神戸商船大白鴎寮の学生250人は、壊滅した町の真ん中で、がれきに埋まった住民100人以上を救出する。なぜ可能だったのか。21年がたった冬、彼らを訪ねた。(木村信行)

 「人が埋まってる!」。住民の声を聞き、神戸市東灘区にある神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)「白鴎(はくおう)寮」の寮生たちは寝間着姿で走りだした。3年の自治会長、有田俊晃さん(41)が止めた。「装備してからや」。作業服、安全靴、トーチライト、防寒着。午前6時すぎ、態勢を整え、寮西隣の三和市場に向かう。被災地で最も早い、民間による組織的な救援活動の始まりだった。

 三和市場。六甲山から深江浜に注ぐ要玄寺川沿いにあった。食堂、八百屋、雀荘(じゃんそう)など約40軒が並び、厳しい寮生活を送る学生が息抜きに通う憩いの場。顔見知りが何人もいた。

 市場は消えていた。アーケードが落ち、木造長屋が横倒しになっている。崩れた壁や柱を一つ一つ取り除き、埋まった人を引っ張り出した。道具が足りない。民家からのこぎりやハンマーを集めた。

 車を持っていた3年の真鍋吉範さん(42)は東灘消防署に向かった。「救助に必要なんです」。懇願し、バールやスコップを寮に運んだ。その後、救助に走り回ったはずだが「実は何も覚えていない」と振り返る。

 つぶれた2階建ての屋根に上り、周りを見た有田さんはがくぜんとした。大半の家はつぶれ、遠くに火の手も見える。落ち着け、と自分に言い聞かせた。

 昼前、寮に「対策本部」を設置した。もっと組織的で広範囲な活動をしよう。寮の食堂を避難所とし、住民を誘導。部屋から毛布をかき集め、寒さに震える住民に配った。寮生の出身地は北海道から鹿児島県に及ぶ。心配する親からの電話にも対応した。

 救助を求める人が、着の身着のままで飛び込んできた。数人でチームを組み、余震が続く現場に向かわせた。1カ所で活動が終われば、必ず寮に戻り、報告するよう伝えた。

 午後、安否確認に走っていた仲間から悲報が届く。近くで下宿していた3年、春藤量隆(かずたか)さん=当時(22)=の息がない、と。毛布にくるんだ春藤さんを台車に乗せ、寮に安置した。海で、学校で、寝食をともにした仲間。言葉は出なかった。ただ涙が流れた。

 日没。急ごしらえの約20チームが半径2キロで奮闘した。救出できた人は100人を超えていた。

 「余震の中、二次災害に遭わなかったのは偶然。できる限りのことはしたが、ほめられた話じゃないです」

 有田さんは、静かに振り返った。

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