神 戸 新 聞
3.静寂の人工島
(掲載日:2002/01/04)
イングランドがやってくる
兵庫県津名郡津名町佐野。人工島は一面の原っぱだ。その一角に、サッカー場が三面ある。
すぐ前は大阪湾。初春の陽光に芝の緑が映える。ひやりとした潮風が時折ほおをなでる。
静寂はつかの間かもしれない。半年後、ここはワールドカップ(W杯)に出場するイングランド代表のキャンプ地となる。
「三年越しの念願でした」。近くでホテルと旅館を営む立石裕明(38)は感無量の表情だ。
住民レベルでキャンプ誘致を掲げ、町を後押ししてきた。イングランドの一次リーグが日本に決まり、キャンプが内定したのは一カ月前。町おこしに向け、一気に歓迎ムードが高まった年末年始だった。
「勝負はこれから。一過性のお祭りにだけは、もうしたくない」
スーパースターがやってくるグラウンドを前に、立石は「何度目の正直になるか」と続けた。
◆
人工島は、押し寄せた外圧にほんろうされた淡路島の象徴だった。
立石のホテルは、佐野の南隣、生穂の人工島に面する。人工島の埋め立てを兵庫県企業庁が始めたのは一九七一年。同年、立石の父は現在地で旅館を開いた。
県の職員や建設業者が宿泊や宴会で出入りした。関空造成では業者らの談合の舞台にもなった。
百二十九ヘクタール。当初計画の石油備蓄基地はオイルショックで中止。用途は何度も変わった。八〇年代に持ち上がったリゾート構想は切り札だった。
シャチやクジラが泳ぐ人工海水湖、千五百室のホテル…。時はバブル。金に糸目をつけない計画が並んだ。立石はこのころ帰郷。大阪芸大卒業後、広告代理店勤務などを経て、家業を継いだ。
経営は厳しかったが、土地があれば金は借りられた。約一億五千万円でホテルを新築。直後にバブルは崩壊し、続いて震災が来た。県の誘致企業は撤退し、計画はとん挫した。
巻き込まれずに済んだのは、ビジネス客に絞った判断のおかげだった。
住民不在で膨らみ、泡と消えたプロジェクト。その後、明石海峡大橋が開通し、淡路花博が開かれ、淡路は再びにぎわいを見せた。が、目の前の更地は変わらなかった。
ようやく県が佐野地区の半分を運動公園に決めたのは、昨年に入ってから。そこに今回のサッカー場が含まれていた。
◆
立石のホテルは今、スポーツ合宿の利用が増える。「ベッカムやオーウェンがここで練習するんだ」。まだ見ぬスター選手の話題に子どもの目が輝く。
「津名PRの絶好の機会」と経済効果を期待する町。盛り上がりのなかで立石は、キャンプ後のサッカー場の運営を民間に任せるよう働きかける。
「“宴のあと”はもう繰り返したくない」。W杯後をにらみ、住民レベルで作戦を進める。
開発で失われた淡路の草花で運動公園を埋め尽くそう。開発にほんろうされた島だからこそ、“環境立島”を打ち出したい。
「目指すはスポーツの島、花の島」。そう言う立石自身、環境に優しい宿泊施設を目指し、いち早く国際規格を取得。地に足のついた準備を始めた。
◆
ホテルの屋上から、雑草が茂る更地が見える。
「リゾートができていなくて、かえってよかったのかもしれない…」
苦笑いの立石は「ここにはまだ可能性がある」と、人工島の行方を見据える。(敬称略)
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