8. 先端医療センター長
  田中 紘一さん(62)
 
生体肝移植 …新時代の治療法確立目指す(2004/08/08)

 日本が世界に先行する医療技術、生体肝移植。京都大学の移植チームで千を超える手術をこなし、治療成績の改善に尽くした第一人者が七月、神戸医療産業都市の中核施設、先端医療センター(神戸市中央区)のセンター長に就任した。京大教授、同付属病院長も兼ねる田中紘一さん(62)。「患者を救いたい」という一心で走り続けた外科医が、その技術と蓄積で再生医療の確立に挑む。

「どんな医療でも、患者とともに歩むことが大切」と話す田中紘一さん=京都市左京区、京都大学病院

 一九六〇年代、学生運動の嵐の中で「医療とは何か」を考え続けた。出した答えは「地域医療に徹する」。京都大学医学部卒業後、勤務地に島根県立中央病院を選んだ。教授に権限が集中する「医局講座制」から逃れたかった。

 四十年後の現在、田中さんは京大教授、付属病院長の職にあり、国内で最も有名な外科医の一人に数えられる。生体肝移植の確立に努め、チームで積み上げた症例は今年六月、千を超えた。世界各国に招かれ執刀し、海外からの見学希望も途切れることはない。

 大分県の生家は米穀店。足に持病がある父を見て医師を志したが、配達を手伝っていた少年時代、得意先の病院長の尊大な指図に「あんな医師にはならない」と誓った。尊大さとは無縁の分け隔てない人柄は、田中さんの人生に一貫した信念でもある。

 島根時代の専門は小児外科。地方では特殊な症例の患者は少なく、鼠径(そけい)ヘルニア(脱腸)の治療に明け暮れた。「手術痕を小さく、一泊で帰すこと」に全力を傾け、山陰各地から患者が集まるようになった。

 七五年、島根での活躍から「意に反して」(田中さん)京大に呼び戻された。当時、不治の病といわれた胆道閉鎖症の治療を続けたが、成績は改善されず、患者の死に「医師のむなしさ」を味わった。

 同症の唯一の治療法だった臓器移植に注目し、八六年に渡米。だが、脳死移植を支えるシステムの完成度や、社会的認知度の高さに「日本での移植は不可能」と思った。当時、国内では「脳死は人の死か」との議論がいまだに続いていた。

 帰国とともに、生体肝移植の研究を始めた。医学部講師時代の一九九〇年六月、第一例目の生体肝移植を実施。九五年に新設された移植外科の教授となり、現在も執刀を続ける。

 田中さんは「医師は先端に飛びつきがちだが、医療の進歩は患者が選ぶための道標にすぎない。大切なのは患者とともに歩むこと。人を愛するという哲学がない医師は、先端医療にかかわるべきではない」と話す。

 学生時代はボート部や卓球部に所属し、島根時代も手術の合間にテニスを楽しんだが、近年は多忙を極めている。「本当は骨休めしたいところだが、老骨にむち打ち、もうひと仕事したい」と笑顔で語った。

◇       ◇       ◇

 来年三月に京大を定年退職する田中さんは今年七月、先端医療センター(神戸市中央区)のセンター長に就任。神戸での再生医療研究に移植の技術を融合させ、新時代の治療法を確立する。

 特に意欲を見せるのは「移植医療センター」の設置。若い人材を集め、生体肝移植では「年間の症例数で京大を上回るセンターにしたい」という。自身が執刀するかは「既に後進も育っており、悩ましい」と苦笑する。

 糖尿病患者に足りない膵島(すいとう)細胞の移植にも重点を置く。国内外で始まっている死体・生体移植の確立を目指しながら、同細胞を増やしたり、幹細胞から作り出して移植する再生医療の実現も模索したいという。

 神戸の医療産業都市構想の将来性には、「日本の医療が大きく様変わりする先導的な役割を果たすだけでなく、新しい医療が周辺産業の活性化をもたらすはず」と太鼓判を押す。

 今後の課題として、「基盤医療を担う高度医療機関の整備」を挙げた。「先端医療は合併症への対応や持病の管理などに備える基盤医療が不可欠」と話し、神戸市立中央市民病院のポートアイランド2期への移転計画を注視する。

 各分野で、アジア・中近東などの医師の研修を受け入れる教育拠点構想も念頭にある。田中さんは「自分は外科医なので、応用分子学や遺伝子学の知識不足など限界もあるが、オープンな人材登用と各研究機関との連携を進め、新しい医療を作りたい」と抱負を語る。その視線の先には、常に患者の姿がある。

(森本尚樹)

ドナー負担 軽減に挑む

 患者の家族らが肝臓の一部を提供する「生体肝移植」は、国内で年々増えている。一九八九年の一例目以降、〇三年末までで計二千六百六十六件。これまで子どもに限られていた保険適用も、今年一月から、十六歳以上の肝硬変や劇症肝炎などに範囲が拡大され、ますます一般的な医療になりつつある。

 だが一方で、脳死者からの「脳死肝移植」はわずか二十三件。日本では脳死肝移植が普及しない分、生体肝移植が発達してきたともいえ、脳死肝移植が大半を占める欧米とは対照的だ。

 移植が必要な肝臓病患者は、国内で年間二千人ともいわれ、生体肝移植は当面大きな役割を担うことになりそうだ。ただし、「健常者を傷つける危うい医療ではある」と田中さん。「あくまで患者、家族、医師らの選択肢の一つであるべき」と話す。

 また、京都大病院は今年四月、国内初の「膵島(すいとう)移植」を行った。膵島は、膵臓内でインスリンなどを分泌する組織。田中さんらは、心停止した男性の膵島を家族の同意を得て摘出し、体内でインスリンがつくれない糖尿病患者に、細い管を使って注入。患者はインスリンの分泌が確認され、五月に退院している。

 さらに同病院は七月にも、同様に心停止後の二人から摘出した膵島を一人の糖尿病患者に移植する手術を国内で初めて成功させた。こうした膵島移植は、欧米では実績も多く、患者の開腹手術も要らないことから、将来性が注目されている。

 医療産業都市・神戸に拠点を移す田中さんは、「移植」と「再生医療」の融合を一つの目標に掲げている。例えば、再生医療の技術で肝細胞や膵島をつくったり増やしたりできれば、臓器を提供するドナーの負担は飛躍的に軽くなる。「技術と人材を一から育てるつもりで臨む」という。

(浅野広明)

 
 <<臨床研究 移植治療の拡大に期待>> 

 昨年四月に全面開業した先端医療センター。医療分野の研究成果を臨床の現場につなぐ施設として整備されたが、田中紘一さんのセンター長就任により「移植治療の幅が広がる」(神戸市)との期待が高まっている。
新しい医療の実用化を目指し実験を行う研究者=神戸・ポートアイランド、先端医療センター

 同センターで進む臨床研究では、再生医療の分野が内外に知られている。浅原孝之・再生医療研究部長は昨年十一月から、詰まった足の血管を再生する臨床研究を開始。患者から血管のもとになる細胞を採取し患部に移植する手法で、現在計六例を実施している。

 浅原部長は、心筋梗塞(こうそく)や狭心症など心臓の血管が詰まる病気の治療に同細胞を用いる臨床研究も準備中。七月、同センター再生医療審査委員会の承認を得た。

 また、馬場俊輔主任研究員は、歯周病患者から採取した骨髄中に含まれる幹細胞を使って、歯の足場となる歯槽骨や周辺の組織を再生する臨床研究を七月から始めた。

 一般の移植治療も進んでおり、骨髄や新生児のへその緒に含まれる臍帯血(さいたいけつ)から造血幹細胞を取り出して白血病患者に移植する治療が本格化。これまでに約三十例を実施した。

 田中さんのセンター長就任を機に、移植治療のさらなる拡大が期待されているが、課題もある。例えば同センターには救急病床がなく、臨床研究を行える患者の条件が限られているのが現状だ。浅原部長の臨床研究でも、実際の手術は中央市民病院で行われた。

 同市は中央市民病院を同センター隣に移転する方針を決めており、「救急体制をバックアップできるため、臨床研究に対する制約が緩和され、さらに多くの研究を呼び込める」としている。

(足立 聡)

神戸医療産業都市で行われている研究や先端医療についてさらに知りたい方はこちらへ
 ・先端医療振興財団 TRC http://www.trc-net.ne.jp/trc/
 ・先端医療Q&A http://www.trc-net.ne.jp/trc/cont/00_www/q_and_a/index.html
 ・キッズのひろば http://www.lifescience-mext.jp/trc/cont/00_www/kids/index.html
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