(2005/09/08)

11.魚類運搬車軌道跡(美方郡香美町)

駅へと上った海の幸

海抜39.5メートルの鎧駅まで延びる軌道跡。トロ箱を載せた台車を5分近くかけてゆっくり引っ張り上げた=いずれも兵庫県美方郡香美町香住区鎧
一直線に延びていた軌道は、道路の路線変更や自動車用の退避所設置に伴い、分断された

 傾斜二七―三五度、高低差約四十メートル。小石交じりのコンクリートが急斜面に凹凸を刻む。くぼみには雑草が生え、長い時間の経過を物語る。

 鎧漁港に水揚げされた魚介類を、国鉄(現・JR)鎧駅に隣接する荷さばき場へ運び上げるため、軌道が設けられていた。ケーブル付きの鉄製台車をモーターでけん引。魚は荷さばき場で貨車へと運び込まれた。貨物列車が着くと、連結して豊岡や京阪神へ出荷された。

 香住町(現・香美町香住区)元職員で、敷設工事に携わった嵯峨仁さん(81)によると、運搬車の導入は鎧漁港の整備の一環で、一九五二(昭和二十七)年ごろに完成。歯型のコンクリートで斜面を固め、くぼみに枕木を置き、レールを敷いた。

 マグロ、サバ、ブリなど豊富な漁業資源に恵まれた同港沖は、昭和初期から定置網漁の好漁場だった。当時を知る藤原義雄さん(79)=同町=は「大漁時は村の人が総出で竹かごを背負い、斜面の小道を駅まで歩いた」と振り返る。

 鎧駅は一二(明治四十五)年に開業したが、リアス式海岸特有の険しい地形で、高台上にある。人力で魚を運び上げるのは大変で、二〇〇キロにもなる本マグロは四人がかりの大仕事だったという。そのため作業の負担を軽減し、新鮮な魚を効率的に出荷するための施設が求められていた。運搬車の登場により、作業時間は短縮、運び上げる人件費も節減できた。「完成に誰もが喜んだ」と藤原さんは話す。

 六七(昭和四十二)年、最寄りの幹線道路・国道178号と同漁港とを結ぶ町道「鎧港湾線」が開通し、魚の輸送手段は鉄道から車へと移行。その二、三年後、運搬車は使われなくなった。

 廃止から四十年近く。軌道の跡地は個人の所有に。施設を撤去するには費用がかかるため、手つかずのまま。盛時の名残が、深い陰影を刻んでいる。(写真・文 峰大二郎)

〈鎧地区〉
 但馬沿岸部に点在する平家の落人伝説が残る集落の一つ。壇ノ浦(山口県)の戦で源氏に敗れた武将らが移り住んだと伝えられる。湾内は波が穏やかで冬の季節風が吹き込みにくいなど、天然の良港だった。運搬車軌道跡は作家・宮本輝の作品「海岸列車」にも登場、「かつてサバ漁で賑(にぎ)わった鎧港の名残り」などと紹介されている。

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