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「オテテ キレイニ チテ」
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| 幼い妹2人の位牌(いはい)。「もう1カ月半、終戦が早かったら」=神戸市須磨区(撮影・三浦拓也) |
指に、妹の手の温かさが残っている。もうすぐ三歳になる初孫を抱くと、そう思う。母になって、幼い娘を抱いたときも感じた。
「つまり、戦争を追体験してるんです」
詩人のたかとう匡子(まさこ)さん(66)=神戸市須磨区=は、高校生が構えるビデオカメラに語りかけた。
一九四五年七月四日、姫路市神屋町。
神戸の家が空襲で焼け、避難した母の実家で、末の妹酉子(ゆうこ)ちゃんが生まれた。
その夜、米軍の空爆で街は炎上。六歳のたかとうさんは、三歳の妹仁子(よしこ)ちゃんの手を握って走った。妹ははだしで、「熱いよ、お姉ちゃん」と繰り返した。爆発音とともに、二人は「空き缶のように」転がった。意識が戻ると、妹の髪に火がついていた。
八七年。空襲から四十二年後、たかとうさんは体験を詩で表現した。詩集「ヨシコが燃えた」。心の底に沈めていた思いが噴き出した。
〈叩(たた)きつけられ/突き飛ばされ/もぎとられ/失心してしまった数秒後/眼の前の/枯れ草の傍らで/燃えていた/焼けていた/ヨシコ〉
火傷を負った仁子ちゃんは防空壕(ごう)に運ばれた。
〈助かった!/ふるえながら一息ついたとき/オテテ キレイニ チテ/ヨシコの唇はたどたどしく動いて/そのまま/息絶えてしまった〉
仁子ちゃんは菓子を食べたことがなかった。物心ついたときから粗末な雑炊や団子汁が当たり前だった。たかとうさんが「まずい」と不平を言うと、「お姉ちゃん、今は戦争中」とたしなめた。「結局、おやつも食べずに死んでしまった。それが一番つらい」
もう一人の妹、酉子ちゃんも不発弾の煙を吸って、十八日間の命を閉じた。
終戦記念日は腹立たしい。なぜ、もっと早く終わらせられなかったのか。
◇
今年六月。兵庫県立須磨友が丘高校二年、千田理沙さん(16)は深夜、自室で詩集「ヨシコが燃えた」を開いた。千田さんは放送委員。空襲をテーマに映像番組を作る計画があった。空襲は遠い出来事だった。顧問の岡村隆弘教諭(45)に詩集を勧められた。
詩集には、教科書に載っていない「事実」があふれていた。圧倒された。「こんなことがあったんや」。
同学年の羽田野みゆきさん(16)も詩集を読んだ。たかとうさんに会って話を聞こう。二人は決めた。
◇
たかとうさんは詩の発表後も戦争体験を語ることは避けてきた。語れば、つらくなる。今年三月、神戸空襲の慰霊祭で体験発表に初めて応じた。千田さんらの取材依頼も引き受けた。
戦争体験者はやがていなくなる。語る責任を感じる。
「若い人たちに戦争を追体験してほしい。想像力で戦争を知り、平和を願う人が増えてほしい」
(宮沢之祐)
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