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「相当な勇気が必要だった」。神戸市兵庫区の祥福寺僧堂。河野太通老師(73)が静かに振り返った。 戦後五十年の節目となった一九九五年。老師は花園大(京都市)の学長だった。自ら属する臨済宗妙心寺派の法要行事で「羞(はじ)を識(し)る」と、過去の戦争協力に初めて言及した。 太平洋戦争。同派は全国の信徒から資金を集め戦闘機を国に奉納した。機名は「花園妙心寺号」。仏は不殺生を説く。時代のすう勢とはいえ、教えを破ったことに変わりはない。言い訳する僧をだれが信用するのか。 戦中、少年だった老師は「早く大人になり、日本や家族のために命を捨てて戦いたい」と願い、勤労報国の工場勤めに精を出した。終戦となり戻った中学校で教師が言った。「全部間違いだった」 激しく憤った。「社会に合わせて自分の考えを変える。それで自分の人生といえるのか」。意を決して仏門をたたいた。 ところが、後に宗派が戦争に協力していたことを知る。過ちを認めなければ、自分の生き様にかかわると思った。 高砂市の妙心寺派龍澤寺。「『仕方なかった』で終わっていいのか」。水田全一住職(69)が言った。 高校教師をやめ、父の跡を継いだ。ある日、自宅にあった宗派の機関紙を読んだ。「興禅護国」「宗教報国」。戦争協力と戦闘機献納への道のりがあった。 二〇〇一年、住職はその過程を一冊の本にまとめ、戦争責任を告発した。 同じころ。河野老師のもとにオランダ人女性から手紙が届いた。禅の修行を続けているという彼女は「夫は日本軍の収容所に入れられた。今も精神的に苦しんでいる」と書いていた。「過去の過ちを直視して」と訴えていた。 〇一年。妙心寺派は過去の戦争協力を反省する声明を発表した。老師の言及から六年が過ぎていた。 今年夏、老師はオランダ人女性に返事を出した。「あなたのおかげで声明を出すことができた。これまで宗派に自浄能力がなかったことは恥ずかしい限り。二度と過ちを繰り返さない」 老師は今、難民の自立支援などを目的とするNGO(非政府組織)の会長として、アジア各国を巡る。僧侶たちが法衣を脱がされ、経典が焼かれたカンボジア内戦。「同じ仏教徒として助け合いたい」と思ったのがきっかけだ。 老師は説く。「言い訳をするな」 |
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