交渉優先 手紙追求緩む
一九九〇年九月、平壌。自民・社会党訪朝団の石井一衆院議員(68)=当時自民党=は、日本で託された「手紙」の扱いを思案していた。
訪朝の目的は、国交正常化への突破口を開くことにあった。手紙は、その妨げになる。会談の議題には挙げられない。
しかし―。
◇ ◇ ◇
手紙は八八年九月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から日本に届いた。神戸市出身の有本恵子さん=拉致当時(23)=ら欧州で失跡した三人が平壌で暮らしている、との内容だった。
有本さんの両親は五年ぶりの娘の消息に驚き、喜んだ。だが、国交のない隣国は遠い。朝鮮労働党と交流のある社会党も、そして外務省も、それぞれの家族に公表しないよう求めた。
有本さんの父明弘さん(74)は、当時社会党委員長だった土井たか子・現社民党党首(73)の西宮市内の事務所を訪ね、協力を依頼した。
元秘書(60)の当時の手帳には、有本さん失跡の経緯を簡単に記したメモが今も挟まれている。土井党首にその内容を伝えた。「まさか、という反応だった。(土井党首が)どう対応をしたかは分からない」
土井党首側から有本さんへの連絡はなかった。
◇ ◇ ◇
野党よりも与党に。焦る明弘さんは九〇年春、訪朝先遣団の団長だった石井議員を頼った。手紙を読んだ石井議員は「責任を持って調べましょう」と応じた。明弘さんの期待が膨らんだ。
自社の訪朝後、北朝鮮に抑留されていた神戸市出身の元船長、紅粉勇さん(72)の帰国が実現した。しかし、有本さんの件は何も進展しなかった。
今、面会を振り返る両者の言い分は食い違う。
明弘さんの記憶では、石井議員は帰国後、「こんな手紙だけでは言いにくかった」と説明した。「何も言ってもらえなかった」。今も憤りがこみ上げる。
一方、石井議員によれば、「こんな手紙」とは、北朝鮮の幹部の言葉として伝えたものだという。「休憩時間に金容淳国際部長に話した。手紙の信ぴょう性を疑われ反論されたが、調べてほしい、とメモを押し渡した」
非公式なやりとりに記録はない。「証拠と言われると困るが、席を立たれたらおしまいの交渉に、警察さえ認定していなかった話を持ち出せない」と振り返った。
今年九月十七日の首脳会談まで、北朝鮮は拉致を否定し続けた。日本側は「席を立たれては困る」と気遣い続けた。
国交正常化という大義のために。
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