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| 4. 苦悶の末に | ||||
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下血、不眠…心むしばまれ 三年前、小学生だった長男の誕生日。その日も篤司=仮名=は仕事に追われ、食事を共にできなかった。 前夜。眠れない夜の静けさの中で、バースデーカードの文面を書きつづる夫の姿を可南子(41)=仮名=は覚えている。 「お父さんだって、いやになって泣きそうになることはあります。もっと大人になりたいと思って、次の目標を立てています。お父さんと頑張りっこを続けましょう」 そう記して二年後の昨年五月。篤司は「出かけてくる」と言い残し、自宅近くの山中で自ら命を絶った。過労、そしてうつ病に苦悶(くもん)した末の自殺だった。 兵庫県内の被災地自治体の職員だった篤司は、実直な人柄を買われ、震災から四年がたった一九九九年、財政難の立て直しを図る新設ポストに抜てきされた。係長級。三十代後半だった。 行政改革を進め、自治体の大計を練る。重圧は否めないが、周囲には、やりがいを感じているように映った。 しかし、激務は次第に体や心をむしばんでいく。職場は上司と二人だけ。仕事は増し、二〇〇〇年夏以降、毎月の残業は優に百時間を超え、一日も休めない月もあった。 「これだけ仕事をしているというあかしだ」と、夫が勤務表のコピーを手渡したことがあった。「いつ道端で倒れるかもしれないから…」という言い方に、妻は戸惑いを覚えたが、さほど深刻には受け止めなかった。 変化に気付いたのは、その年の秋。下血や不眠の症状が現れ、やせていった。医者にかかるよう勧めたが、夫は仕事を理由に拒んだ。 「気力で仕事をしていたようだった。胃かいようの診断でも出れば、休ませてやれるのに…」。そんな妻の思いに反し、翌〇一年初めの診断でも大きな病気は見つからなかった。 その裏で、二人が気付かぬうちに進行していたのが、うつ病だった。 うつ病と診断されたのは新ポストに就いて二年目、その年の春だった。篤司は願い出て、別の職場に異動。業務は軽くなったが、それでも体調は悪化の一途をたどった。 「仕事は休めない。ここで休めば、ずるずる休んでしまう」。妻に打ち明けながらも、疲れた体で職場へ向かった。 異動から九カ月たった年末、家族そろっての自宅での夕食後、洗い物をする可南子の横に篤司がやってきた。 「もう死にたい。消えてしまいたい」 小さな声で夫がそうつぶやいた時の戦慄(せんりつ)を、可南子は忘れられない。
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