(2003/08/04)
7.加速
 

復興途上に生死の分岐点

 「治る」と信じて向き合う患者らが、ときに死を選ぶ。長年、精神科医を続けていても慣れない現実がそこにある。

 神戸市長田区で診療所を構える宮崎隆吉(56)のもとには、月に六百―七百人の患者が訪れる。震災から九年目になっても、心の傷をひもとくと、あの日「1・17」に行きつくケースが絶えない。

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 「死にたい」「生命保険で借金がチャラになるんです…」。男性は何度もそう口にした。宮崎は「焦らないで。ちゃんと治りますから」と諭すように説得した。

 五十代半ば。その男性が診療所に姿を見せなくなって、まもなく一年がたつ。「不況」「自殺」と聞くと、宮崎は今も男性のことが気にかかる。

 震災で自宅を失い、再建で二重ローンを抱えた。当時、周囲には「地震に負けてたまるか」という機運が満ちていた。「自分も頑張れる」。そう、男性も思った。

 だが、経済基盤が傷んだ被災地を襲った不況は、待ったなしで被災者を追い詰めていった。

 「勤務先の収入は減る一方で、借金返済のために働く日々。嫌気が差して、酒量が日ごとに増えたようです」。不眠、食欲減退で断続的に続いた男性の治療を宮崎は振り返る。

 一昨年の一月、男性は自殺未遂をきっかけに受診。その後も薬の多量服用や自傷行為を繰り返し、突然、診療所にこなくなった。

 震災の痛手が尾を引く被災地の患者たち。友を震災で亡くした寂しさから後を追った人もいた。被災で商売が傾き、命を絶った患者もいた。

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 自殺者の増加について宮崎が気になり始めたのは、震災から二年たった九七年ごろからだ。「暮らしが厳しなった」。患者との会話の端々でそんな言葉を聞くようになった。

 保健所のデータを分析すると、予感はあっさり裏付けられた。

 九八年、人口十万人当たりの自殺率は、兵庫区で四十三人、長田区で三十一人。全国平均(二十五人)や県平均(二十六人)を大きく上回った。

 建物や生活の再建が本格化し始めたこの時期、同時進行で自殺が増えた点に宮崎は注目した。自力で立ち直れない被災者が取り残された結果ではないかと危ぐを抱いた。

 「生活再建の格差、明と暗。復興の始まりが、皮肉にも『死』につながる分岐点となった」

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 高齢者の孤立、コミュニティーの崩壊…。戦後社会の問題点を浮き彫りにした震災はまた、地域経済の低迷や不況の余波を「加速」させた。

 「医療の力だけでは現実は変えられない」。自殺を防ぐ定かな答えを見い出せないなかで宮崎は、患者に寄り添い、ともに考える姿勢を持ち続けようとする。「生きていれば、いいこともあるんじゃないかなぁ」「もっと居直ったらいいのに」とさりげなく言ってみる。

 「人を支えられるのは人しかいない」。診察室のいすは、患者と同じ方向を見つめるように配されていた。(敬称略) =おわり=
(企画報道班)


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