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尼崎JR脱線事故

2008年3月25日 月命日ルポ 尼崎JR脱線事故あす3年

 昼も夜も線香の火が途切れることはない。尼崎市久々知のJR脱線事故現場。快速電車が激突したマンションは住人が去って久しいが、献花場の設けられたこの場所を、訪れる人は絶えない。「亡き人に一番近づけるから」「事故を忘れないように」。それぞれの思いを胸に、人々は足を運ぶ。犠牲者の月命日に当たる三月二十五日、現場の一日を追った。(森本尚樹、中島摩子、石沢菜々子)

献花台の前で犠牲者の冥福を祈る女性=3月25日午前10時18分、いずれも尼崎市久々知(いずれも撮影・田中靖浩)

献花台の前で犠牲者の冥福を祈る女性=3月25日午前10時18分、いずれも尼崎市久々知(いずれも撮影・田中靖浩)

電車が通過するとレールの音が響く。献花台には花と折り鶴が絶えない=3月25日午前9時33分

電車が通過するとレールの音が響く。献花台には花と折り鶴が絶えない=3月25日午前9時33分

献花者が訪れるたび、頭を下げるJR西日本社員=3月25日午前10時16分

献花者が訪れるたび、頭を下げるJR西日本社員=3月25日午前10時16分

線香の火を絶やさないように、夜間も見守り続ける警備員=3月25日午後8時58分(撮影・石沢菜々子)

線香の火を絶やさないように、夜間も見守り続ける警備員=3月25日午後8時58分(撮影・石沢菜々子)

 夜明け前の午前五時すぎ。吐く息はまだ白い。夜通し献花場を守っていた警備員が、線香を継ぎ足す。献花台に朝日が差し込んだ七時十分、一家とおぼしき三人が花を供えた。目に涙を浮かべている。間もなく、腕章を巻いたJR西日本社員が警備員と交代した。

 あの日と同じような青空が広がった。よく来るのか、若い女性らが慣れた手つきで菓子やジュースを供える。その傍らを満員の京田辺行き快速電車が通過。窓越しに現場を見やる通勤客がいた。

 九時すぎ、夫を亡くした原口佳代さん(48)=宝塚市=が、高齢の母親と一緒に姿を見せた。月命日のこの時間の献花を欠かさない。彼岸、盆、正月、誕生日、結婚記念日にも来た。

 献花台で焼香した後、夫の乗っていた一両目が激突したマンションの地下駐車場脇に向かう。花束を供える所と決めている。「ここは(夫に)一番近いから」

 同じ思いを抱く遺族らが多いのだろう。フェンスで囲まれているが、小さな地蔵の傍らには、花のほかに、お菓子、飲み物などが所狭しと供えられている。

 事故発生の九時十八分が近づく。原口さんは手を合わせたまま、しばらく動かない。

 同時刻、JR西元会長の南谷昌二郎顧問らが献花した。

 正午前。気温がぐんぐん上昇。JR西社員が霧吹きで供えられた花に水をかける。淡いピンクと白の大きな花束を抱えた初老の男性が、ため息をつき、写経や千羽鶴が並ぶ献花台を見渡した。かすかにすすり泣く声。ズボンのポケットから慌ててハンカチを取り出し、何度も目をぬぐった。

 午後一時、JR西元社長の垣内剛顧問ら幹部二十人が献花。毎月二十五日は同社の「安全の日」でもあり、職場を代表して慰霊に来るという。一時間後、山崎正夫社長も訪れた。

 五―六時。兵庫県外で勤務する同社の運転士らが制服姿で地下駐車場前へ。手を合わせた後、衝撃の跡を目に焼き付けるようにのぞき込んだ。

 その後、三両目で事故に遭い、心に深い傷を受けた笹岡恵奈さん(24)=伊丹市=が献花した。事故の衝撃で壁がはがれたマンションの柱をさわり、何度も空を見上げる。電車が通るたび、耳をふさいだ。「あの時と同じ音がする」と。

 七時半。昼間の晴天から一転、小雨がぱらつき始めた。数分置きに、仕事帰りらしき人々が花束を手に献花台に向かう。かばんから数珠を取り出し、手を合わせた。

 雨が本降りになった九時、朝は一―二列だった花束が、六―七列の山になっていた。JR西社員が焼香台を片付け、線香を警備員に託す。十時前。人けはない。雨がっぱの警備員が水たまりになった雨水をモップでかき出しながら、そっと線香を足した。


▼現場マンション 47世帯住民の今

生活激変「人生狂わされた」

 脱線した快速電車の一、二両目が衝突したマンション「エフュージョン尼崎」には、四十七世帯が暮らしていた。事故後、JR西日本は住民に購入価格での買い取りを提示。交渉は二〇〇六年十二月までに終わり、所有権はJR西に移った。

 この間、住民らの生活は一時避難、仮住まい、退去…と激変した。

 尼崎市内に転居した女性は、高校生の娘が体調を崩し、うつ病と診断された。登校できなくなり、昨年、普通科から通信制への転校を余儀なくされたという。「人生を狂わされた部分もある。でも、ずっと引きずっていくわけにもいかない。前を向かなければ」と女性は話す。

 住民らは事故から五カ月後、一階の駐車場脇に地蔵を建てた。土台の一部には、事故現場で拾い集めた小石が使われた。

 マンションの今後について、遺族や負傷者の間では「事故の風化を防ぐため残して」との意見がある一方、「見るのはつらい」と撤去を求める声もある。JR西は「このままの状態で残すのは難しいだろうが、慎重に検討したい」としている。

(広畑千春)

(2005/04/24)

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