文通相手の桧垣直美さん(右)に、震災時の様子を話す工藤巧さん=神戸市中央区脇浜町3(撮影・宮路博志) |
「こんぴらさん」で知られる香川県琴平町の県立琴平高校。毎月十七日前後、放課後の教室で二十人ほどの生徒が便せんに向かう。あて先の一つに「神戸市中央区脇浜町…」。HAT神戸だ。
同校のボランティア同好会「とらすとK」は、阪神・淡路大震災の復興住宅に暮らすお年寄りに手紙を書いている。名前には「K(神戸)」と「K(琴平)」を「とらすと(信頼)」で結びたいとの願いを込めた。
三年前、復興住宅を訪ねるボランティア活動をテレビで見た二人の生徒が「手紙を出したい」と思い付き、神戸の団体が橋渡しをした。今、同好会のメンバーや卒業生が手紙をやり取りする高齢者は二十人以上。年に一、二回は神戸を訪ねる。
「最初は寂しいお年寄りを励ますだけのつもりだった。どうせ返事は返ってこないだろうし、と」。高校三年から文通を続ける専門学校生、桧垣直美さん(20)=同県多度津町=は振り返る。メールと違って文章をつづるのも苦手。だが意外にも、夢中でペンを走らせ返事を待つようになった。
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専門学校の受験。面接が怖いです(直美)
人間、格好をつけたってしんどいだけや。普段のままでいい(工藤)
勉強ばっかりしとらんと、恋の一つでもしたらどうや(工藤)
好きな人はまだできません。いいなと思う人はいるのですが(直美)
桧垣さんとHAT神戸に暮らす工藤巧さん(77)との文通は、毎週に及ぶこともある。
工藤さんはかつて健康食品の会社を経営していた。震災で自宅兼事務所と工場が全壊。会社をたたみ、一九九八年に復興住宅に入居した。長男は同居を勧めたが、「一人の方が気楽」と断った。
だが、ここでの生活は予想と異なった。住民にあいさつしても返事はなく、自分も声を掛けなくなった。友人とも疎遠になり、郵便受けを探っても、たまに何かの請求書が入っているだけだった。
〇五年春、突然数通の手紙が届く。返事を書いてみた。郵便受けには、かわいい絵柄の封筒が入るようになった。
琴平町から届いた便りは、三年間で五百通を超える。「僕はこれで生かされている」。手紙の束をなでた。
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「工藤さんの一番目の孫」と名乗る桧垣さん。「親に話せないことも書けるし、人生の先輩からのアドバイスを聞きたくなることも増えて…」とほほ笑む。
今年一月六日。工藤さん宅は、桧垣さんや高校生らのにぎやかな笑い声に包まれた。「スーパーの店員に話し掛けるようになった。友だちもできたよ」。工藤さんはうれしそうに報告した。自分が少しずつ変わり始めたのを感じている。
「年を取っても人と真剣に向き合っとったら、役に立てることがある。教えてくれたのはあんたらや」。孫たちは、こくんとうなずいた。
(2008/01/16)
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