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足跡が消えた日 特定失踪者を追う第4部

(5)女児の声自宅に相次いだ不審電話

 
西安さんの幼いころの写真に見入る家族=丹波市市島町の自宅

西安さんの幼いころの写真に見入る家族=丹波市市島町の自宅

 

 「今も兄ちゃんの夢を見る。夢の兄ちゃんは変わらないけど、両親も私も年をとった」

  二十一年前の朝、兄の西安(にしやす)義行さん=当時(21)=は、黒っぽいジャンパーの普段着だった。二歳年下の妹、圭子さん(40)は「この服、どこか、おかしないか」と聞かれた。

  「いつもはそんなこと気にしないのに。なぜか、兄について行きたい衝動に駆られて。あんなことになるなら、ついて行けばよかった」

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  一九八七年三月十五日、兵庫県市島町(現・丹波市)の自宅から、西安さんは高校時代の友人、石川靖さん(42)とドライブに出かけた。

  二人は京都・舞鶴へ向かった。石川さんは運転免許を取りたてで、西安さんが運転した。「海を見て、食事をして帰った。変わったことはありませんでした」と石川さん。

  夕方、京都府綾部市の綾部駅近くで、西安さんは「列車で帰る」と、車を降りた。

  西安さんは約一時間後「無事着いたか」と、春日町(現・丹波市)の石川さん宅に電話してきた。

  それが、西安さんの消息の最後となった。

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  それから、不可解な出来事が起きるようになる。

  最初は八七年五月。母の久子さん(68)が電話を取ると、小さな声が漏れてきた。「僕、学校の横」と聞こえた。震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」。声をかけると、電話は切れた。

  九三年三月ごろの電話は、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。「明かりをつけましょ、ぼんぼりに…」。ふと思いつき久子さんは問うた。「あんた、義行の子か?」。返事はなかった。

  九八年、今度は来訪者があった。集落の区長の男性宅に、地下足袋を履いた男二人が現れ「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねた。今は亡き区長によると、二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗ったという。

  さらに昨年十一月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。留守を告げると、電話は切れた。

  「あのとき、ひな祭りを歌った子やろか」「義行の子かも」「国内におるんやろか」―。久子さんは何度も考え込むが、答えは見えない。

  特定失踪(しっそう)者問題調査会に届けたのは、あらゆる可能性を考える中で北朝鮮による拉致も気になったから。確信はない。圭子さんが言い添えた。「拉致問題を解決して、はっきりさせてほしい」

(2008/03/05)

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