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悲しみの社会で グリーフケアのいま

(5)自助の集い気持ち共有し活力戻る

 葬儀のとき、誰のそばに座っていいか分からなくなった。

  寄り添う夫婦や親子の参列者が目についたが、自分の両親は遺影の中にいる。一緒に暮らした家族はいなくなった。「私はもう、どこにも属していない」と感じた。

  加西市の女性(27)。

  昨年十二月、父親=当時(52)=を食道がんで、二週間後に母親=同=を難病で、亡くした。思い出の写真を前に一人食事をする。目を閉じると、闘病中、両親の苦しむ顔が浮かぶ。「前は普通に平凡で幸せだったのに。なんで」

  励まされるたび、「頑張りたいけど頑張れない」と落ち込んだ。二人を亡くした直後、仕事は辞めた。人を避けて家にいることが多くなった。

  そんなとき、インターネットで、死別経験者の自助グループ「神戸ひまわりの会」を見つけた。一月末、思い切って会合に出掛けた。五、六人で体験や思いを語り合う。「泳ぎ方が分からないのに、突然、プールに入れられたみたい」と、生活の変化を話す人がいた。自分と同じだった。

  話し、うなずく。気持ちが軽くなっていく。一カ月後の会合まで頑張ろうと思えた。

*    *

  神戸ひまわりの会は一九九四年に発足した。月一回、病死や事故、自殺で親しい人を亡くした三十人ほどが集う。一方的なアドバイスはしない、比較はしない―などのルールで運営している。

  同会の設立にかかわり、グリーフ(悲嘆)ケアを研究する龍谷大短期大学部講師の黒川雅代子さん(42)は、自助グループの役割について「治療ではなく、安全な場の提供。気持ちを分かち合う中で、新たな発見をし、自分を客観的に見ることができる」と説明する。

*    *

  西宮市の関秀子さん(62)は九九年、会社員だった長女=当時(25)=を交通事故で失った。

  「大事にしていたガラス細工を粉々に砕かれたよう。人には川の同じ岸を歩いているように見せて(悲しみを隠し)、実際は川の向こう岸を歩いている。周囲の人と自分は違う」

  四十九日が終わったころ、自助グループに初めて参加した。関さんは泣いているだけだったが「同じ岸を歩いている人がいる」と知った。

  二〇〇四年、子どもを亡くした母親のグループ「ひこうきぐも」を自ら設立し、ネット上で交流している。

  難しさも感じる。会員は十五人。「必要な人に知ってもらうにはどうしたらいいのか」。加えて「死別の状況などに応じた多様なグループがほしい」と望む。現状では受け皿が少なすぎる。

  「どこに聞いても教えてもらえず、何年もかかって、ようやく(自助グループに)たどりついた」という人がいる。「潜在的なニーズに応えたい」。関さんは強く思う。

(2008/03/17)

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