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あきらめない 尼崎JR脱線事故 林浩輝さんの3年

(中)生還決死の救助 生きる力に

事故現場を訪れた林浩輝さん。涙がこみ上げてきた=3月18日、尼崎市久々知西町2(撮影・山崎 竜)

事故現場を訪れた林浩輝さん。涙がこみ上げてきた=3月18日、尼崎市久々知西町2(撮影・山崎 竜)

 すさまじい衝撃音とともに、土煙が上がった。

  二〇〇五年四月二十五日午前九時十八分。JR宝塚線の快速電車はレールを外れて大きく傾き、マンションに激突した。

  林浩輝さん(22)が乗っていた先頭車両はマンション駐車場に突っ込み、壁に激突。車体は一番前の扉のすぐ後ろで「く」の字に折れ曲がった。

  顔や胸元に、無数のガラス片が突き刺さった。狭い空間に人と人とが絡み合うように押し込められ、暗闇の中、苦痛にあえぐうめき声が響いた。

  朝。林さんは京都の大学へ行くため、伊丹の自宅を普段より早く出た。JR伊丹駅で待った快速電車は目の前を大きく行き過ぎて止まり、バックで戻ってきた。運転席の真後ろに乗り込んだ。

  手すりを持ち、眠気と闘いながら、窓の外をぼんやり眺めていた。

  塚口駅を通過し、名神高速道路をくぐった辺りで、異変は起きた。

  「体が浮き、目の前の景色が徐々に傾いて地面に近づいていった」

  脱線。本能的に手すりにしがみついていた。強い衝撃で意識を失った。

  気が付くと、体の上に何人もの乗客が折り重なっていた。首と右手だけが動かせた。滴る液体に触れると手のひらが真っ赤に染まる。血だった。

  懸命の救出作業が続いていた。だが鉄くずのようにひしゃげた一両目の救助活動は難航した。

  昼すぎ、目の前にあった携帯電話で父と母に連絡が取れた。でも状況を伝えるのが精いっぱい。やがて充電が切れた。

  「痛い」「助けて」。周りで訴える声がだんだん小さくなった。「僕も死ぬんや」。ぼんやりそんなことを考えた。

  夕方。救助隊員が林さんを見つけた。正座したような状態で、その上に手すりなどが倒れて押さえ付けていた。

  ガソリン臭がし、火花が散る機材は使えない。「頑張りや」。隊員や医師が手を握った。水を飲ませ、点滴をした。「もう無理です」と漏らす林さんに、「何を言うてるんや」と怒鳴った。

  意識が遠のくたび、手をぎゅっと握られた。希望と絶望を行ったり来たりする。「自分の身を危険にさらしてまで、助けてくれる人がいる」。その思いが力をくれた。

  翌二十六日午前七時七分。周囲の鉄パイプが取り除かれ、林さんの体がすっぽり抜けた。「一名救出!」。救助隊員が叫んだ。事故から約二十二時間がたっていた。

  今年三月十八日。大学卒業を前に、事故現場を訪れた。車両が駐車場周辺につけた傷が残る。事故のすさまじさを、あらためて知る。

  「ここは自分の人生が変わり、変えられた特別な場所。生かされた命だからこそ、納得できる道を歩みたい」

  亡くなった人の分も生きる。じっと手を合わせた。

(金海隆至)

(2008/04/03)

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