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| ミュージシャン 伊丹 英子さん 復興への生命力実感/演奏で被災者癒やし続け (2005/02/09)
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―大阪で震災に遭った 被害はほとんどなかった。ロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」で活動しており、震災直後から何か手伝いたいと思っていた。一週間ほどたったころ、重度障害者の福永年久さんという人が「今、神戸の人はみんな障害者。私は慣れているから、みんなを助けられる」と語っているのをテレビで見た。むっちゃロックで、パワーがあった。この時期に言えるってすごいと思った。番組の最後に、四十ぐらいのボランティア団体の名前と連絡先が流れた。慌ててメモした。神戸に行こうと、メンバーを誘った。ボランティア団体に電話をかけたが、「すぐ来て」とは言われなかった。まず、電気のない被災地で演奏するため、三線、沖縄のカスタネット「三板(さんば)」、和太鼓などで、民謡や戦前、戦後のはやり歌を練習した。 ―一九九五年二月十日、神戸市灘区の避難所で初めて演奏した。 ステージとなった階段の踊り場周辺が、人であふれた。『籠(かご)の鳥』という古い歌を歌うと、おばあさんが「懐かしい」と泣いた。おじいさんも泣いた。沖縄民謡の『安里屋ユンタ』を奏でると、手拍子と笑顔が広がった。 音楽でしかできない癒やしがあると思った。音楽は人の記憶の中にある。私を通して、みんな自分自身を見ていた。歌のせいにして笑ったり泣いたりもできる。これをきっかけに、ミュージシャンとしての立ち位置が変わった。 ―震災後の一年間、演奏は百回を超えた。 バンド名を「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」とし、ボランティアで避難所を回った。毎日のようにリクエストをもらって、レパートリーを増やした。一緒に音楽をつくっていった。演奏後には被災者と語り合った。 神戸・長田で『アリラン』を歌うと、みんなが踊り狂った。「震災でチャンゴ(朝鮮の鼓)が焼けた」というオモニに会った。買ったチャンゴを手に「教えて」といったら、大勢のオモニが「私が」と言ってくれた。おひねり第一号は、避難所にいた怖そうなおっちゃん。「おまえら下手やったら殺すぞ」といってたのに、かつての流行歌『十九の春』を歌ったとたん、グスン。差し出された一万円を「いりません」というと、「どういうことや」とすごまれて、結局受け取った。 つらいことがたくさんあったからこそ、元気を出す。何人もそんな人に会った。信じられないぐらい生命力があった。助け合っていた人も大勢みた。私の生命力も引き出してくれた。 ―演奏活動とともに「震災基金」をつくった。 在宅看護が必要なお年寄りや障害者のためだけに使うと宣言、募金を集めた。毎月千円ずつ送ってくれるファンもいた。おじいさんやおばあさんに手紙を渡すような気持ちで、仮設住宅での炊き出しなどに資金提供した。 ―震災十年の今年一月、神戸市長田区で開かれたコンサート「つづら折りの宴in長田」で歌った。 震災翌年に開いたコンサートでは、仮設住宅でばらばらになった人に集まってもらおうと企画し、一万二千人が来てくれた。九年ぶりに復活させた今年は、ステージから避難所や仮設住宅で会ったおばあちゃんたちの顔が見え、歌いながら泣きそうになってしまった。 復興した部分とそうでない部分のギャップが大きい。心の復興は難しい。復興住宅をつくってもらったんだから文句をいえない、といい聞かせている人がいる。区画整理が完了せず、足場のない人がいる。「つづら折り」に来たおばちゃんが「頑張ってたあのころを思いだすんや」と話した。頑張らなと十年過ごした人が、また、頑張らなあかん。それが現実。十年は区切りでない。ずっとかかわり続けたい。
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