防災研究者 重川 希志依さん
欠 如 

 高度経済成長時代から、日本では、従来の農村型社会では考えられなかったような複合的被害をもたらす「都市災害」が起き始めた。地震で高層アパートが倒れたり、橋が落ちたりする。一九七八年の宮城県沖地震では「ライフライン災害」という言葉も生まれた。新しいタイプの災害への備えが必要になった。  しかし、日本の防災は土木や理学の分野が中心。都市と人間を組み合わせた視点で災害を考える学問はなかった。阪神大震災で初めて、ハード中心の対策から、被災者支援というソフトへと本格的に目が向けられるようになった。  防災研究者には、過去の経験に頼った思い込みがあった。教訓をどう伝え、生かしていくか。その作業はこれからだと思う。

複合的視点がなかった/高めたい個々の危機管理能力
     都市防災研究所は、二十年前に設立された。日本の災害が農村型から都市型へと変化し、都市機能に複合的被害をもたらすようになった時期に生まれた。重川さんはここで十八年間、研究に携わってきた。兵庫県の「震災対策国際総合検証会議」の検証委員の一人でもある。その専門家にして、阪神大震災は、これまでの思い込みを覆す出来事の連続だったという。

 例えば、病院。普通、災害直後といえばだれもが阿鼻(あび)叫喚の世界を思い浮かべる。ところが、話を聞くと、病院は異様なくらい静かだった。患者も家族も医師も、亡くなった人が寝かされている廊下を黙々と歩いていく。しかも、来たのは死者か軽傷者ばかり。従来の防災計画にある「重傷者が次々に運び込まれる」という想定とは違った。阪神のような大災害では、人は「生きるか死ぬか」で、生死の境界線にある人は意外に少ないと感じた。

     被災地に入ったのは地震から十日目。防災研究者の目にどう映ったのか。
 テレビで見るのと、実際にその空間に入るのでは違う。被災地に立つと、壊れたものの中から生活や人の存在が感じられる。テレビで長田区の火災を見た時、ただ「家や街が燃えている」としか思わず、そこに生き埋めになっている人に思いが至らなかった。想像力が欠如していた。
     「想像力の欠如」。阪神大震災後、災害対策の最大の課題としてしばしば指摘されてきた点だ。
 震災前、多くの人に「都市で災害が起きたら何が一番困るか」と聞かれ、「トイレ」と言ってきた。でも、だれも信用しない。災害後は断水し、下水道が壊れ、都市には高層住宅がたくさんある―という三点は、だれもが分かっている。しかし、それらが組み合わさった時、困るのはトイレだと、だれも思わない。一つひとつの出来事が想像できても、複合的になった時の状況を考えていない。「何とかなる」と思っている。それが、最大の問題だ。
     「都市災害」に関する蓄積が、日本にはまだない。
 先進国でこれほど自然災害に遭うのは、日本と米国くらい。研究所の設立当時、研究の手本になるものはなかった。防災といえば、土木分野か、災害の原因を研究する理学分野が中心。都市と人間が組み合わさったところで何が起きるかを考える視点がなかった。
     防災や復興の基本的な考えは、ハード中心だった。
 被災者支援というソフトに目が向き始めたのは、つい最近のこと。しかも、心のケアや生活再建支援が広く議論されるようになったのは、阪神大震災の後。過去の災害報告書を見ても「被災者支援」という言葉はほとんど出てこない。公が担う部分と、民の部分がはっきり線引きされてきた。役所は街をつくり、個人支援は民の力で頑張る、という図式がずっとあった。
     昨年、被災者生活再建支援法が成立し、公による個人支援に道筋がついた。
 現金をばらまくだけで、生活再建を本当に支援できるのか。大切なのは、お金ではなく、被災地の人々が生きがいを持ち、人の役に立っていると感じられること。人間を立ち直らせる力を持つのは人間しかない。その基本は、地域コミュニティーであり、そこで被災者自身が動き始めること。最終的な力になるのは、地域社会しかない。
     県の検証委員としては、「被害認定のあり方」がテーマ。
 被害認定とは、「被災者とはだれか」という問題を解くこと。阪神大震災では、建物の損壊を示す罹(り)災証明と、死亡やけがといった人的被害の二つの「ものさし」だけで、すべての被害認定が行われた。銀行の融資や私立学校の授業料免除など民間の支援までもが、公が発行した罹災証明で決められた。「だれが被災者か」は時間経過とともに変わる。どの時期に、どのものさしを使うかを考え直さなければ。少なくとも、建物の被害を示す罹災証明だけで五年間も通してしまうのはおかしい。  もう一つ、きちんとした被害認定には、ある程度の時間が必要だ。行政はそれを市民に説明すべきだし、認定作業をする職員の訓練もしておく必要がある。認定終了までは、一時金を手渡すことも考えておくべきだ。
     今後の防災対策はどうあるべきか。
 日本は裕福になり、防災システムは充実した。構造物の安全性レベルも、他国に比べて高い。ところが、人間の危機管理能力が落ちている。システムに頼り、自分で考えなくなった。税金でハードを整備しても、人や社会がそれを生かせるように成長しなければ意味がない。だれもが「自己責任」を受け入れなければならないということ。その芽は、震災から五年目の今も、この国には見えない。
     被災地の今後に望むことは。

被災地の人々に話を聞いて分かったのは、家族を亡くしたり大けがをしたり、本当に痛い思いをした人は、まだ何も語っていないということ。本当に震災の教訓を発信できる人は、つらすぎて今も語れないでいる。そういう人が乗り越えてきた道のりを、私たちは教訓として生かしていかなければならない。その作業は、これからようやく始まる。

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しげかわ・きしえ 1957年、東京都生まれ。財団法人都市防災研究所研究部長。東京理科大理工学部卒業後、81年に同研究所入所。昨年から現職。
 国の消防審議会委員を務め、阪神大震災後は、東京都の生活復興マニュアル、愛知県の避難所運営マニュアルの作成にもかかわる。著書に「新学校安全読本」「学校防災読本」(ともに共著)など。
 阪神大震災の復興の歩みを二十のテーマで検証する兵庫県の「震災対策国際総合検証会議」では、国内外の三十六人の検証委員の一人。東京都江東区在住。

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「先入観を捨て」

 研究所の棚には、過去何十年をさかのぼる災害の復興誌、報告書がびっしりと並んでいた。古い資料は、古本屋をこまめに回って集めるという。

 しかし、多くの資料がそうであるように、紙の上の文字からは本当の災害の姿は伝わってこない。重川さんが言うとおり、災害はその空間の中に身を置いて初めて分かるのだと思う。

 重川さんはこの四年あまり「数え切れないほど」被災地を訪ね、何百という人々に話を聞いた。最初に被災地を見た時、これまでの仕事の枠はご破算にして、伝えたいこと、残したいことを一つひとつ集め続けようと心に決めたという。

 その作業を通して、「行政ではなく、被災者自身が被災者を見捨てる出来事が多くあった」と見る。避難所での高齢者の冷遇。仮設住宅に対する差別。行政はあてにならないと身をもって感じたはずなのに、自分たちの安全を自分たちで守るという意識が薄いのではないか―と問われた。

 従来の構図では解決できない課題が押し寄せている日本社会。

 まず先入観を捨て、次代への教訓を残す。その大切さを教わった。

   記事・磯辺 康子


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