浄土真宗本願寺派総長 ・ 豊原 大成さん   

    「心」 人間とは、生きるとは
    知恵出し合い混迷脱却へ

     人間の思想は、その人に到達した情報の量や強さで決まる。例えば肉親の死という強い「情報」により、人生観は大きく変わる可能性がある。

     仏教が世の中にできることは何か。それは「慈悲」の心だ。私自身、家族を失い、寺の勤めを果たすにはよほどしっかりしないと、との思いは強かった。涙が出そうになっても、できるだけ感情を抑えていた。ただ何かの拍子でその平静さが崩れ、涙があふれ出そうになる。私にとって「諸行無常」は、いわば建前。涙こそが本音。今も、その間を行きつ戻りつしている。

     家族がいる者と孤独な者との精神的な差について考え、家族の大切さを訴えていく必要がある。宗教者はその役割を自覚し、人々の心の領域へ情報発信しなければならない。

      豊原さんが住職を務める西宮市西福町の西福寺は、震災で本堂は残ったものの、書院などが倒壊した。庫裏で寝ていた父で元総長の大潤さん(当時八十六歳)と、妻の幸子さん(同六十二歳)、一人娘の真利さん(同二十八歳)が亡くなった。本山の西本願寺に勤務していた豊原さんは、その朝、京都の役宅にいた。
     西宮へ戻るまで具体的な被害は分からなかった。午前十時ごろ電話が入り、すぐに帰ったが、車で七時間かかった。自坊のすぐ近くまで来ると、門徒の一人が「大変なことになった」と言った。

     「死んだのか」と聞くと「はい」と答えた。「三人ともか」と、さらに尋ねると、「そうです」と。その後、本堂に安置された三人と対面した。大変深い衝撃を受けた。

     娘は、これから結婚も考えていた。本当にショックだった。寺の一人娘として生まれたことで、彼女の人生を縛り付けていた面がある。妻が二十年来、関節のリウマチを患っており、その介抱もしなければならない…と、私が引き留めていた気もする。娘の幸せを心から願っていただけに、できることなら、私が代わって死に、彼女を生き返らせてほしい。その思いは、今でも強い。

      だが、悲しみに浸っている暇はなかった。西福寺周辺の家屋は、ほとんどが全壊。一人の遺族でありながら、住職として檀家(だんか)の世話に奔走した。
     本山の総務のなり手は大勢いるが、住職は私一人。お寺は一日も休めない。翌日からお参りに出た。檀家は古い家が多く、八割は全半壊。葬儀はこの寺だけで約六十人にのぼった。

     仏教の教えで「諸行無常」というが、避難所では、肉親を失って黙り込む人、自らの被災状況を興奮状態でしゃべり続ける人など、実にさまざまだった。私自身が逆に慰められた。
     

      被災者の「心のケア」の重要性が叫ばれた。宗教は救済への期待にこたえることができたのか。
     仏教とは基本的に人々を幸せにするもの。お釈迦(しゃか)さまも最初は自らの悩みを解決するために修行されたが、悟りを開かれた後、人々の救済のため教えを説かなければ、となった。単に教えを説くだけではなく、自らが直接手を差し伸べることが大事。私たちも一人一人の所へ見舞いに行き、足をさするなどして期待にこたえたかったが、寺の復興に忙殺されていた。
      被災地では多くのボランティアが活躍した。
     素晴らしい、の一語に尽きる。宗教のいかんを問わず、仏の教えを実現してくださった。戦後、利己主義に走りがちな日本人が、親類縁者でなくとも全国から被災地に来た。敬服すべき行動だった。

     要求ばかりせず、自ら問題を解決する。この気持ちが人間の原点。人間とは何か、生きるとは何か。もう一度考える必要がある。
     

      震災と同じ年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。以後も、宗教をめぐるトラブルは続いている。
     さまざまな新宗教が生まれ、広がる原因は、日本人に宗教的免疫性がなくなったからだ。昔は大家族で、祖父母が家でお参りしたりするのを子や孫たちが見ていた。知らず知らずに宗教は心に入っていた。

     社会状況が変化し、今は宗教とふれあう機会が乏しい。何か不安や悩み事があって、「救ってやる」とか言われるとそちらへ流れてしまう。宗教が見返りを求められる対象になってしまった。それも、免疫性がないから。「現世利益」は、あくまで心の問題だ。

      間もなく震災から五年になる。復興の歩みは、どう映っているのか。
     心の復興がどこまで進んだか。これは私たちの責任でもある。「混迷の時代」からの脱却へ、知恵を出し合う必要がある。

     私は復興にあたりながら、仏教の復習をする思いで古典や経典を読み返してみた。昔の人々は何を考えていたのか、古典がなぜ何百年も受け継がれてきたのか。それぞれが一度考えてみてはどうだろう。
     

      震災後、妻と一人娘の追悼誌を出版した。夫や父として、一方で宗教者として、相半ばする思いに苦悩しながら道を探る、豊原さん自身の心の復興は。
     悲しみは薄らいだとはいえ、心の底に何か重いものがあり続ける。悔恨、寂しさ。これだけは、どうしようもない。家族に会える「浄土」の存在を信じ、妻や娘には「お浄土で待っていて」と願っている。

     いま寺は、末弟夫婦が世話してくれている。彼らがいなければ、自動車の洪水の中で一人自転車をこいでいるようなものだ。生活の多くの部分は、実は他者によって支えられているということを痛感している。
     

      今後の被災地復興へ、提言を。
     まず宗教家、宗教施設がしっかりすること。何も神戸に限らないが、お寺が心の復興に力を貸せるような状況にまずならないといけない。私たちが、その役割を自覚することが大切だ。

     宗教とは、物理的にどうにもならない悩みを、心の領域で解決する営みだと言える。震災によって愛する人や家を失った私たちは、心の領域を真剣に見据えながら、今後の復興に取り組むべきだろう。

     とよはら・だいじょう 1930年、西宮市生まれ。自坊は西宮市の西福寺。93年に父大潤氏の跡を継ぎ住職となる。京都大、同大学院で仏教学を専攻。インドのベレナス・ヒンズー大学博士課程を修了。85年から、浄土真宗本願寺派の宗会議員や、閣僚にあたる「総務」を務める。97年7月、総長に就任。98年には浄土真宗中興の祖、蓮如上人五百回遠忌の大法要を遂行した。旧神戸一中(現・神戸高校)時代、外野手として夏の甲子園に出場した経験もある。主な著書に「親鸞の生涯」「釈尊の生涯」など。

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    父、夫として・・・

     舞い落ちたイチョウが広壮な境内を黄色に染める。

     京都・西本願寺。

     全国に末寺一万、門徒一千万人。浄土真宗本願寺派の“総理大臣”の重責を担う人とあって、強烈な個性を持った人物像を勝手に想像していたのだが、寡黙で実直な人柄に引き込まれた。「まじめで学究肌」が周囲の評、というのもうなずける。

     取材では、宗教の果たすべき役割などを指摘する一方、話題が肉親の死におよぶと、一人の夫として、父として悲嘆と悔恨の念を隠さなかった。特に一人娘だった真利さんの思い出を語る時の、愛情と寂寥(せきりょう)感あふれる語り口には今も癒(いや)し切れない、遺族の深い悲しみをあらためて感じた。その苦悩の表情には、俗にまみれた“教祖”らが吐くどんな言葉よりも説得力がある。

     豊原さんは最近の日本人について「品や品格を言わないのが残念だ。何も語らずとも、ただいるだけで、行動するだけで、心を発揮する。そんな民族性を回復してほしい」と話した。

     震災から間もなく五年。復興の街や人々の心に「品」は感じられるか。重い問いかけだった。

    記事・長沼 隆之

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