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夏の甲子園 兵庫予選 |
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今年も高校野球の夏がやって来た。第八十二回全国高校野球選手権大会兵庫大会は七月十三日、明石球場で開会式を行い、十五日間に及ぶ熱戦の幕を開ける。昨年から1校減った165校が参加。予定通りに日程が消化されると三十日に明石球場で決勝を行う。シード校は今春のセンバツに出場した育英、東洋大姫路と、両校とともに近畿大会に出場した姫路工など16校。組み合わせ抽選会は一日午後一時から神戸市中央区の神戸朝日ホールで開かれ、4回戦までの対戦カードが決まる。開幕を前に出場165校の登録メンバーを紹介し、開幕へ向けた球児たちの意気込みをリポートした。今大会は内外野総天然芝となったプロ野球オリックスの本拠地グリーンスタジアム神戸で試合が行われる。また、かつて高校球児だったプロ球界の大御所や現役選手たちにも夏の思い出や球児へのエールを語ってもらった。(伊丹昭史、幾野慶子) ●尼崎産/徳田博哉投手 すらりと長身、187センチ。スリークオーターから長い左腕が鞭(むち)のようにしなって、140キロという数字以上の威力の剛速球が、キャッチャーミットを勢いよく打ち鳴らす。大リーグの奪三振王、ランディ・ジョンソン(ダイヤモンドバックス)を思わせるような豪快さ。尼崎産のエース・徳田博哉(3年)。プロ6球団の注目を集める逸材だ。 高校入学当初の球速は120キロ前半がやっとだった。だがダッシュと腹筋、背筋の強化を繰り返すうちに、めきめきとスピードアップ。カーブ、高速スライダーと併せて「全部が決め球」と自信を見せる。「三振にはこだわらない」投球で、昨秋の県大会、神戸国際大付戦で本塁打による1失点のみの完投勝利。十一月の横浜遠征では全国区の強豪・横浜を相手に、エラー絡みによる2失点の好投で実力を存分にアピールした。 その徳田のトレーニングシャツの右肩には「REVENGE(リベンジ=雪辱)」という文字の刺しゅうがある。自身三枚目のオリジナルシャツだ。 製作のきっかけは昨秋の県大会、育英戦。立ち上がりから課題の制球が乱れて連続四球。さらに重盗を決められ、揺さぶられた。「初めてビビってしまった」。結果三回までに7失点。最悪の内容だった。 十一月下旬、まず二枚同時につくった。一枚目は背中に「勝利への道は努力なり」の文字を入れ、二枚目は右そでに「自分らしさを出せ」。「自分らしい『強気』を再確認したい」という思いからだった。 三月にはひじを痛めて春季東阪神地区大会を欠場。チームは決勝で県尼崎工にサヨナラ負けした。「育英、県尼崎工…。リベンジする相手はいっぱい、いるんです」。三枚目のシャツは四月末につくられた。 夏は二年連続でチーム“終戦”の瞬間を、マウンドで味わった。「あんな経験、もうしたくない。プロがどうとかより、今は夏のことしか考えていない」。ひじの調子は万全。持ち前の負けん気の強さを白球に込め、あとは思い切り投げ込むだけだ。 ●仁川/ニエト・カルロス左翼手 リマ(ペルー)生まれのニエト・カルロスは、二年生ながら通算本塁打21本のパワーヒッター。春の西阪神地区大会決勝(津門公園野球場)では場外ホームランもかっ飛ばした。パワーの源は大リーグのサミー・ソーサ(カブス)も食べているという中・南米産の「フリホール豆」と筋力トレーニングだとか…。 祖国の主流スポーツは、サッカーやバレーボール。道具が必要なベースボールは「裕福な人がたしなむスポーツ」だったから、バット替わりの木の棒で、靴下を丸めた「ボール」を打ってまね事をしていた。 日本では「サッカーでもしようかな」と思っていたらしい。だが、小学校で同じクラスになった在日韓国人の親友に誘われて玉津中(大阪)軟式野球部へ。「人の知らないところで努力すれば強くなる」という同中監督の助言から、大阪市東成区の自宅で毎日欠かさずダッシュと腕立て伏せ。181センチ、78キロの恵まれた体は、そんな中学時代の努力を物語っている。 高校では、ラテン系の明るさも手伝って、すっかりムードメーカーになった。豪快なヘッドスライディングは日常的だし、「セーフ」や「回れ、回れ」の動作も人一倍大きい。強肩だから、レフトから本塁へノーバウンドで矢のような返球を突き刺すのも魅力的だ。「彼の豪快なプレーが出ると、チームが盛り上がりますね」。馬場監督がほほえむ。 七年前、ペルー人の父の仕事の関係で来日した時に、日本語習得のため二学年遅らせたため、年齢制限により夏の大会は今回が最後になる。「チームを勝利に導くようなホームランを打ちたい。そして甲子園に行きたいです」。夏空に、カルロスの笑顔が輝く日が待ち遠しい。 ●姫路商/塩飽康宏投手 姫路商(姫路市井之口)のエース塩飽(しわく)康宏=写真=は練習試合で金属バットをへし折った武勇伝を持つ。 五月四日の加古川西戦。2点をリードして迎えた六回、普段通り「打たせて取ろう」と内角へ力いっぱい投げた直球が、打者の振ってきたバットを根元から切断。折れた先は、塩飽の足元まで回転しながらすっ飛んできた。 「ぼくの球は遅い。(バットが)さびていたのでは」と塩飽は笑ったが、当日は調子がよく、直球に伸びがあったこともまた事実。シード校を相手に見事3安打1失点に抑え込んだ。 強豪として知られる陸上部とグラウンドを共有しているため、実績で後れを取る野球部には打撃練習などで制約がある。しかし、大垣監督は「うちは陸上ばかりじゃないところを見せておかないと」。「また折ってみたい」と力強い塩飽も「あの試合で目標の八強入りへの自信がついた」と本番を心待ちにしている。 ●姫路/山口広太郎遊撃手 二十二年ぶりにシード権を獲得した姫路の躍進を攻守で支える。山口広太郎遊撃手。打率4割6分。今春以降の計32試合で三振はわずか3。「あいつなら、何とかしてくれる」。ナインの信頼はめっぽう厚い。 進学の際は強豪私学から誘いを受けたほどの逸材。だが、強豪でもまれるより「自分がチームを引っ張りたい」と同高を選んだ。 二年の昨夏、「五番遊撃手」を確保。しかし、大会の数日前から左足付け根に違和感を覚えていることは周囲に隠していた。「そんなに痛くないから大丈夫」。だが、スイングが鈍っているのは周囲の目にも明らかだった。3打数無安打。チームは1回戦敗退。追い打ちをかけるように病院で「左股(こ)関節はく離骨折」と診断された。 二カ月間の練習停止。新チーム開始時に出ばなをくじかれた。秋の西姫路大会は1回戦で飾磨工に惨敗。三塁コーチを務めながら「申し訳ない」と心の中で謝るしかなかった。 九月末、練習に合流し、十一月に入ると本領発揮。たまっていたうっ憤を快音で晴らし始めた。「強豪相手だと特に燃える」。東洋大姫路との練習試合では逆転サヨナラ三塁打を放って、復調を印象づけた。 そして今春。「不動の四番」に就いた春の西姫路大会。2回戦で再び飾磨工と対戦し、苦しみながら制する(3―2)と、山口の目から思わず涙がこぼれた。「秋は悔しい思いをしたから、ほんとにうれしかった」。同大会で優勝した。 「凡打しても悩まない」性格。冬場のトレーニングで下半身をサイズアップさせた。このため安定感が増し、ライナー性の長打を連発している。「チャンスで回してくれたら打つ自信はある。活気づいているこのチームで、甲子園に行きたい」と、主砲は意気込む。 ●育英OB 鈴木啓示さん談話 “草魂”で知られる鈴木啓示さん。プロ野球の近鉄バファローズで通算317勝を挙げた日本球界を代表する大投手だ。そんな鈴木さんにも届かなかった“夏の1勝”があった。育英のエースとして臨んだ一九六四、六五年の兵庫大会。いずれも決勝で0―1で涙をのんだ。栄光の陰に挫折あり―。三十五年を経た現在、鈴木さんにとって、この2試合はどんな意味を持っているのだろうか。 ◇ そりゃあ、悔しかった。大会前、両方とも育英は優勝候補と言われ、前評判通り順調に勝ち上がった。決勝も「育英有利」の予想が大半だったと思う。しかも自分で言うのもなんだけど「投手がええから」というのがその理由の一つ。それで負けたんだから。詳しい試合内容は覚えていないけれど、悔しい気持ちだけは今もよみがえってくる。 援護はなかったが、打線を責めようと思ったことはない。投手をやっていたらつきもの。自分が0点に抑えたら負けない。負けたのは1点でも取られたぼくの責任なんです。 でも、関係者やチームメートには申し訳ないけれど、個人的にはあそこで負けてよかったと思っている。 ぼくの野球人生は「ここで勝てば」というときに勝てなかった。センバツ(65年)でも、ダントツの優勝候補と言われながら、初戦で徳島商に1―3で負けた。テレビの全国中継でホームランを打たれた。すごい屈辱ですよ。プロでも日本シリーズ(79、80年)で勝てず、リーグ優勝の喜びなんかなくなった。 でも長い目で人生を振り返ったら、その「なんで勝たれへんねん」という気持ちをバネにしたときの方が、その後の結果はよかった。夏の大会でも、もし優勝していたら、ぼくの性格なら完全燃焼して、そこで満足してしまっていた。こんなに長く野球はやっていなかったし、まったく違う人生になっていたはず。 言葉は悪いけど「コノヤロー人生」。「次こそは」と自分を励まして練習に打ち込んできた。1回戦で負けても、努力さえすればやり直しはいくらでもきく。勝って大きくなることもあるけれど、甲子園、高校野球は、負けて大きくなれるものだと思うんです。 (談) ●天然芝の感覚は 高校生でも大丈夫/内野安打が増えるかも <オリックス 弓岡コーチ> 今季からダイヤモンドに天然芝が敷かれたグリーンスタジアム神戸。ここで高校球児がプレーするのは9試合ながら今大会が初めて。そこで、かつての高校球児で、同球場をホームグラウンドにするプロ野球、オリックス・ブルーウェーブの塩崎真内野手(熊本工高―新日鉄広畑出身)と、弓岡敬二郎・守備走塁コーチ(東洋大姫路高―新日鉄広畑出身)に、「天然芝感覚」などを聞いた。まずは弓岡コーチから―。 弓岡コーチ 芝で球脚が遅くなるから、土のグラウンドだと抜けている打球が取れたりすることもある。バントの場合、(ファウル)ラインは切れにくいように感じる。ノックでゴロを打つときは土の部分に落としたり、芝の上をボールを滑らしたりと、打ち分けるようにしている。 雨だと(芝の上を滑って)速い打球が来るから三塁手と一塁手は難しいだろうね。でも高校生でも大丈夫だと思う。同じ野球なんだから。 今の子はのびのびやっているけど、ぼくらの高校時代は監督が怖くて顔色見てビクビクしていた。でもなんで怒られているのか、わかっているんだから仕方ない。 高校時代の練習はすべて厳しかった。でも「これをやらないと甲子園にいけない」と頑張ったからこそ、実際に二度も行くことができた。練習するチームがやはり強い。高校生の体力は一晩寝たら回復する。いいコンディションで試合をやってほしいね。 雨が降れば大丈夫/イメージと差があった <オリックス 塩崎内野手> 天然芝は水分を含むから雨なんか降るとボールがぬれやすい。それに滑って球脚が速くなる。土だとビシャビシャにならない限り大丈夫なんですがね。ぼくは天然芝の最初の試合(3月19日、対巨人)が大雨の中で、練習なしのぶっつけ本番でした(笑)。あれ以上悪い条件はないでしょう。 逆に乾いていると、芝でブレーキがかかって打球に勢いがなくなるような感じ。ちょっと弱いと全然こない。今の守備位置だと、高校生の肩じゃ内野安打が増えると思いますね。 ぼくは天然芝に変わってから守備位置を考えるようになった。投手にとって打ち取っている打球はアウトにしないと。バウンドもイメージとは差がある。それに芝と土の切れ目が、ぼくは気になる方なので切れ目の前か後ろで取るようにしてます。天然芝の感覚はいいですよ。 ●葺合高OB サーパス神戸マネジャー 小浜裕一さん談話 三学年合わせても、部員十五人ほどの小所帯。でも、みんなが一生懸命やっていた。中学校で野球をしていなかった部員もいた。それでも、そこそこ野球の試合にはなっていたと思う。二年生の夏は、負け(1―2滝川)はしたが、3回戦で池上(のち近鉄―横浜の投手)と投げ合って、いい勝負ができた。 印象に残るのは二年生の秋。新チームになった直後の秋季大会の東神戸地区予選で2位になった。その時は試合ごとに「勝ち」「勝ち」と続いて楽しかった。 でも、甲子園は遠かった。というより、あまり意識できなかった。大会で全部勝ってしまえば、もちろん行けるんですが、いずれ、どこかで負けると思っていたのが正直なところ。三年生の夏は、ブロック優勝ぐらいはできるだろうって、みんなでそう言い出したら3回戦で負けてしまった。 高校野球では「一つのことをみんなでやる」ということを体験できた。嫌なこともつらいことも、みんなで力を合わせ、我慢して取り組む。そういうことを、若いながらにして味わえた。今思い返せば、世の中に出ていったときの予行演習をしていたようにも思う。 |
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