![]() ![]() 【19】邦楽同好会/趣意書・規約見つかる 戦前、大阪にあった「邦楽同好会」は商業レコード会社でも、素人相手の”街の録音屋”でもない、ユニークなレコード製造・頒布組織であった。日東蓄の大黒柱・森下辰之助氏が、同蓄退社後、同会を始めたことが、森下氏の縁者の証言から分かっているものの、同会の実態は長く闇(やみ)に包まれていた。
邦楽同好会が出した 「火炎太鼓印ほうがくレコード」 (故水野康孝氏資料から =岡山市在住の大和静子さん提供) そこへ、神戸・元町通五丁目でレコード店を経営する阪口昭夫さんから有力情報が入った。大阪市淀川区に住む音楽愛好家村岡享さん(24)から店に持ち込まれた多数の資料の中に、同会の設立趣意書などが含まれていたのである。大阪府特高課でレコードの検閲に携わった人物が残した昭和九―十三年の調査資料。 レコードの検閲に関する文書は、東京中心の内務省警保局のものでさえ「出版警察報」など、かつて官報として公にされた情報以外は、ほとんど明らかにされていない。まして大阪となれば皆無と言ってよかっただけに、関西のレコード史解明に極めて貴重である。 「趣意書」から決意の固さが読み取れる。 「音楽に国境がないからと云ふて只無暗に外来、殊に欧米諸国の音楽にのみあこがれて、我邦固有の音楽を排斥すると云ふは以ての外」 と、ぶち上げた後 「我国粋音楽は今後、愈向上発達ささしめねばならぬ。…只是れを口にし耳にして…道楽とのみせず…発達保存に努力せねばならなぬ」 と説き、結論として会の具体的活動を次のように導く。 「本会に一般蓄音器会社が設備せるものに劣らざる最新の蓄音器吹込機を備付け、一面は会員諸士の趣味を満し、一面は各流名家の芸術保全に資したい…」 趣意書に続いて十三人の理事の名前が並び、末尾に「相談役」として森下辰之助氏の名がある。発足の日付はないが、森下氏の孫に当たる医事評論家水野肇さん(71)ら三人きょうだいが「火炎太鼓印ほうがく」レーベルで、歌を吹き込んだ”テスト盤”の吹き込み日が、昭和八年六月七日と分かっていることから、この少し前ごろの設立とみられる。 会員による、言わば内輪のレコード製作・頒布組織の資料が、なぜ”検閲当局”に保管されていたのだろう。この疑問に対する答えも実は今回の資料にあった。九年十二月十二日付の「大阪朝日新聞」と「大阪時事新報」の記事である。 二つを総合すると、別件の出版法違反で検挙されたレコード製作依頼人が、たまたま邦楽同好会員だったことから同会の存在が明るみに出た。検閲当局は、現状では取り締まりの法規外だが、一般発売する際には出版法により届け出・納本するよう注意したという。 趣意書に連なる会員はただならぬ人物ばかり。「大阪財界やインテリ階級の名士連が組織」しており、仁丹の森下博、日本生命の弘世助太郎、府立大阪女専(現女子大)校長平林治徳、大軌(現近鉄奈良線)社長の金森又一郎ら「大阪知名の顔」が並ぶほか、特別会員として竹本土佐太夫、中村福助、吉田大和之丞、豊竹古靱太夫ら一流芸を誇る大家をずらりと集め、会員総数は百人を超える。 注目すべきは、レコードプレスまで自前でやっていた点である。これまで、東京国立文化財研究所編「音盤目録1」にあるように「コロムビアへの委託」と信じられていたが、趣意書にうたわれたように自社製作が判明した。「もと日本レコード会社工場を譲り受け、専門技師二名を雇入れて同会直属のレコード製作工場とした」とある。 記事は「至れり尽せりの設備の数々、金にいと目のない連中とはいえ、その大係な吹込室は、本職のレコード会社そこのけの豪勢さ」と伝える。「日本レコード会社」の実態は不明だが、恐らく小さなプレス工場だったのを大幅に改造したのだろう。 「各自の稽古が一つ上ると一枚レコードに吹き込んで、天狗の鼻を一層高くしようという趣好」とちゃかして記事を結んでいるが、かつて日東蓄専務として上方の伝統芸保存に命をかけた森下辰之助氏の真意は、別の所にあったはず。邦楽離れの加速に危機感を持ち、もはや商業ベースでは成し得なくなった事業を、財界名士を束ねた力によって遂げようとしたに違いない。 森下氏は十三年七月、志半ばで五十七年の生涯に終止符を打つ。一般レコードが軍国歌謡一色に塗りつぶされていた時代、終戦に近い十九年ごろまで、同会がひたすら伝統芸を記録し続けたのは、森下氏の強い遺志が受け継がれたおかげかもしれない。 掲載日:1999/01/31 レコード120年・第7部「レコード各社興亡秘話」/バックナンバー 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【9】 【10】 【11】 【12】 【13】 【14】 【15】 【16】 【17】 【18】 元のページに戻るにはブラウザの【戻る】ボタンを押してください。 |