日々小論

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 75年前の今頃は肌寒い初夏だったそうだ。

 随筆家の岡部伊都子さんは1945(昭和20)年5月29日からの3夜、同じ不思議な夢を見た。出征したはずの婚約者が戻ってくる夢だ。「わたしの大好きな紺絣(こんがすり)のきものを着て」。きれいな笑顔だった。

 そして、敗戦の後に届いた知らせには「二十年五月三十一日沖縄本島島尻郡津嘉山に於(おい)て戦死」と記されていた。

 沖縄の本土復帰前、69年に神戸新聞で連載し、後に本になった「二十七度線」で岡部さんはそう書いている。

 「こんな戦争では死にたくない」と言った婚約者をたしなめて、「戦死は名誉だ」と戦地に送り出した筆者は68年、パスポートを手に沖縄を訪れる。

 現地で大切な人の最期を知る女性に会った。女性は、彼の戦友から「両脚を砲撃でやられて動けなくなったので、みごとに自決したよ」と聞いていた。

 この「二十七度線」を書き終えた日、神戸に住む彼の母が危篤になる。7人の子があったのに、亡くなるまで戦死した息子の名を呼んだ。平和を願い続けた岡部さんも12年前に逝った。

 今月15日、沖縄は本土復帰48年を迎えた。地元紙・沖縄タイムスは節目の社説で「基地の集中が暮らしを脅かしている現状は変わっていない」と書いた。

 3年前、米軍ヘリの窓が普天間第二小学校に落下。社説は同校に設置されたシェルターに触れ、「命が危険にさらされながら学習する小学校がいったいどこにあるだろうか」と訴える。

 岡部さんの婚約者は学友への寄せ書きに「勝つも亦(また)、悲し」と書いたという。当時は勇気が必要だったことだろう。戦場だった沖縄も平和になりましたと報告できないのが悲しい。

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