日々小論

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 安倍政権になってから、日本語の使われ方がおかしくなったと常々、感じている。

 自分たちの主張を繰り返すだけなのに「丁寧に説明する」。責任を感じているとは思えないのに「責任は自分にある」。

 政治家の言葉と振る舞いが別の方向を向いている。だから多くの人が違和感を抱く。

 そうした態度が許されるなら、意見が異なる相手に丁寧な説明などしなくて済むし、本気で責任を取る覚悟も必要ない。

 さらに「理解を得る」という言葉も付け加えたい。これも安倍晋三首相や政府、与党幹部がよく用いる言い回しである。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設問題でも、首相や閣僚らは「地元の理解を得る努力を続ける」と述べてきた。「移設は着実に進める」とも明言し「こちらの言い分を受け入れろ」という通告にしか聞こえない。

 そもそも「理解」とはどういう心の働きなのだろう。

 広辞苑(こうじえん)には「物事の道理をさとり知ること」とある。「人の気持ちや立場がよくわかること」という意味もある。

 「人間はあらゆる思い込みによって生きている」。哲学者の池田晶子さんは著書「14歳からの哲学」でそう述べている。

 人は「自分が正しい」と思いがちだ。だが何が本当に正しいかは、異なる意見にも耳を傾けないと見えてこない。だから思い込みから自由になる精神が大事なのだと池田さんは説く。

 だとすれば、「理解」とは本来、相手にだけ求めるのでなく、自分自身の考えをも問い直す謙虚さに通じるはずである。

 相手のことを理解する必要などない。もしも政権の中枢にそうした思い込みがあるとしたら、さまざまな問題がこじれる要因はその辺にありそうだ。

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