日々小論

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 30年以上も前に聞いた一言が耳の奥に刻まれ、いまも折に触れてよみがえる。

 1986年5月15日、大阪・フェスティバルホールであったバイエルン国立管弦楽団の演奏会。舞台上で喝采を浴びる名指揮者、カルロス・クライバーは、アンコールを求める聴衆に向かって日本語で曲名を告げた。「コーモリ」。やや高めの軽やかな声が印象的だった。

 名演中の名演といってよいベートーベン第7番の演奏が終わった後のことだ。万雷の拍手の中、指揮棒が一閃(いっせん)、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」の序曲が流れだした。

 水際だった指揮姿は文字では到底表せない。音楽評論家の吉田秀和氏が「世界でいちばん優雅な指揮者」と評した通り、棒は美しく流れるように動き、要所の打点は素晴らしく明瞭だ。快刀乱麻のさばきで超快速のフィナーレを駆け抜ける。総立ちの私たち…。

 演者、聴衆ともに同じ場、同じ瞬間を共有する演奏会はまさに一期一会だ。その後の人生でこれほど圧倒された演奏はなかっただけに、感動体験を象徴する名指揮者の肉声は永遠の存在になっている。

 クライバーは2004年、74歳で死去した。生きていれば90歳。どんな指揮を見せるだろう。往時のままの流麗な音楽だろうか。奥深い円熟の境地を示すだろうか。伝記やテレビドキュメンタリーが出たが、その生涯は依然、謎に満ちたまま。ただ演奏のきらめきのみが残る。

 音楽、演劇、芸能…。コロナ禍でどの分野も生(なま)に触れにくくなっている。終息したとき、堰(せき)を切ったように文化が動きだすのだろう。生き生きとして、しなやかさにあふれた芸術が花開くことを願わずにいられない。

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