日々小論

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 〈テニスせし昔の日なる震災忌〉〈植木屋に身を寄せしこと震災忌〉

 震災忌は俳句の季語。関東大震災の犠牲者を追悼する日を指す。句は俳人の京極杞陽(きよう)が1956年に詠んだ。旧豊岡藩主、京極家の第14代当主で元子爵。東京・本所に生まれた。

 地震は23(大正12)年9月1日の正午前に起き、京極家の屋敷は倒壊する。一家はしばらく庭にいたが、近くの陸軍被服廠(ひふくしょう)の跡地に避難した。書類の入った家具を運ぶように父から命じられた杞陽は家族と別れた。

 その後、各地で発生した火災が被服廠跡に迫る。家財道具なども巻き上げる火災旋風が人々を襲い、約3万8千人が亡くなるという大惨事となった。杞陽は父母と祖母、弟妹の7人を失う。このとき15歳だった。

 「赤い明るい火の世界に黒く小さく乱れ狂って人々は死んで行った。それは午後二時三時四時五時の三時間ほどのうちのことだ」と記している。

 杞陽は帝大を卒業し、欧州遊学中の36(昭和11)年、ベルリンであった句会で俳人の高浜虚子と出会う。〈美しく木の芽の如くつつましく〉。才能を見いだした虚子に師事し、俳誌「ホトトギス」の同人となる。戦後は豊岡で家族と暮らした。

 58年の句。〈わが知れる阿鼻(あび)叫喚や震災忌〉〈電線のからみし足や震災忌〉〈燃えてゐし洋傘や震災忌〉

 杞陽の句集を編んだ但馬出身の俳人山田弘子さんは「震災から三五年も経た後に詠まれたこれらの作品の生々しさに息を呑(の)む思いがする」と書いた。

 年月を重ねたからこそ、できた句かもしれない。阪神・淡路大震災から25年が過ぎたが、この先も被災者の心を表現する芸術作品が出てくることだろう。

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