日々小論

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 数年前にベトナムのホーチミンを訪れたとき、マジェスティックというフランス植民地時代からのホテルに宿泊した。館内には作家開高健の写真が飾ってあった。1964年から65年にかけ、ベトナム戦争を取材した開高が滞在していた。当時の町の名はサイゴンだった。

 65年2月にベトナム入りしたカメラマン沢田教一が泊まったのもこのホテルだったと、青木冨貴子氏による彼の評伝「ライカでグッドバイ」にある。

 沢田は最初、地方紙に写真と記事を送る仕事を得て現地に飛んだ。その後、UPIサイゴン支局のカメラマンとして戦争の写真を世界に配信する。

 地面をはいずるようにして進む兵士。救助を待つうつろな負傷兵。戦場の極限を伝える写真は、迫真の力に満ちている。

 だが彼のレンズは激しい戦闘だけでなく、戦争に翻弄(ほんろう)される住民にも向けられた。

 爆撃に追われ、2組の母と子5人が川を渡る姿をとらえた1枚。恐怖と不安の表情が印象的なこの「安全への逃避」と題した写真などで、彼は66年、米ジャーナリズム界の栄誉とされるピュリツァー賞を受ける。

 受賞後、戦火を逃れた5人を捜しだし、贈り物をしている。住民を単なる被写体と見ていなかったということだろう。

 68年、平穏な香港支局に転任しながら、沢田は再び戦地に赴く。そしてカンボジアの取材で銃撃され、命を落とした。

 妻のサタさんは、戦場を仕事場とした彼が「真実は現場にしかない」と語っていたと述懐する。同時に「戦争のないのどかな風景をもっとも愛した人でもありました」と書いている。

 34歳で最期を迎えた日から、28日で50年。残された写真をじっくりと見直してみたい。

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