日々小論

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 そのとき92歳だった。おしゃれで個性的な左右非対称の眼鏡がとても似合っていた。1950年代から度々ニューヨークを訪ね、前衛芸術に刺激を受けていると、熱く語った。グラフィックデザイナー、今竹七郎さんは魅力にあふれた人だった。

 明治の神戸に生まれ、仕事場のある大阪に移ったが、戦前の39年から94歳で亡くなるまで西宮で暮らした。「大阪から帰ると空気が甘くてほっとする。青空の色がいい。雲が近い」と阪神間の風光を愛(め)でていた。

 西宮市大谷記念美術館で今、今竹さんの没後20年に合わせた展覧会が開かれている。ポスターやパンフレット、雑誌、商品パッケージなどを見ていると、戦前から戦後にかけ、そのデザインが彩ってきた都市文化の推移を感じることができる。

 今竹さんが活躍し始めた20年代、30年代は、大阪が一時東京の人口を抜いた時代。モダニズム文化華やかなりし「大大阪(だいおおさか)」は、気鋭のデザイナーにとって格好の舞台だった。

 「当時の大阪は商都らしくデザインの分野では光っていた。東京は背伸びしていて格好ばかり。大阪は一見ダサいようだがヒューマニティー(人間味)がある」と誇らしく話した。

 戦後、大阪は万博の盛り上がりはあったものの、東京の一極集中が加速化した。「過去を振り返らず、もっと新しいこと、明日を見ることが大切だ」と説いた今竹さんの目には、物足りなく映ったことだろう。

 かつての大阪、関西は、新しいものを面白がり、独創性を大切にして、権威にへつらわない気風が強かった。行政の形だけ東京をまねても現状は変わるまい。遠回りのようでも、自由な文化的風土を耕し直すことこそが必要なのではないか。

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