日々小論

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 ジョン・レノンがニューヨークで凶弾に倒れた夜、枕元のラジオで聞いた追悼番組は何とも奇妙だったと記憶している。電話出演した大人の一人は痛々しいほど打ちのめされ、別の一人はやけ酒で酔っぱらっていた。当時中学生だった筆者は大いに当惑したものだ。

 それだけ絶大な存在だったわけだが、そのときは正直よく理解できなかった。実感が伴い始めたのは、高校生になり、「マインド・ゲームス」や「パワー・トゥ・ザ・ピープル」などビートルズ解散後の楽曲にも耳を傾けるようになってからだ。

 ファンになると歩みもたどりたくなる。ベトナム戦争を続ける米国を支持した英政府に抗議し、勲章を王室に返上していたのには驚いた。反戦運動への積極的な関与を警戒し、国外退去命令を出したニクソン米政権に立ち向かうその勇気に憧れを抱いた。平和を何より愛し、戦争を心から憎む姿勢にさらに魅了された。

 ジョンが生まれたとき、第2次大戦下にあった故郷の英国リバプールはドイツ軍の空襲に頻繁に見舞われていたという。型破りで怖さ知らずにも映る反戦の振る舞いは、そのことも関係していたのかもしれない。

 彼の生きざまは今も多くの人々を引き付ける。反政府デモに揺れた香港では若者たちが自由を求める意思を示す「レノン・ウォール」が随所にできた。世界中の市民が大切に歌い継ぐ名曲「イマジン」は永遠だ。

 ジョンが40歳で非業の死を遂げて8日で40年になる。「ラブ&ピース」を掲げた彼は、国境や人種、思想を超えた平和と調和を訴え続けた。コロナ禍によって世界に苦難と分断が広がる中、そのメッセージが一段と重みを増している。

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