日々小論

  • 印刷

 79年前のきょう、太平洋戦争が始まった。12月8日は新聞報道に携わる者にとって、苦渋の歴史を振り返る日でもある。

 当時、国際情勢が緊迫する中でも危機回避の外交努力は継続していた。だが「日米交渉進展せず」と経過を伝えた神戸新聞の朝刊が読者の元に届いた頃、既にハワイ真珠湾への奇襲攻撃が行われていたのだった。

 機密事項の軍事行動を知る由もない。その朝、ラジオの臨時ニュースで戦争突入を伝えられた国民にとって、まさに寝耳に水の事態だったろう。

 紙面を調べると、神戸新聞は翌9日の朝刊で「暁の夢破る急爆」「敵艦十数隻撃沈破」などと開戦を報じている。

 1面トップに社説を掲げ、「われら一億国民は銃前銃後一体」「万死もって祖国に殉ずるの決意を固め」と、戦意高揚を呼び掛ける論調を展開した。

 疑問や批判は封印し、国策の旗振り役しか許されなかった時代。とはいえメディアも戦争の旗を振った事実は消えない。

 やがて敗色濃厚になり、出征した兵士が次々に戦地で倒れる。しかし戦死の記事は細切れにしか掲載できなかった。

 「国民全体が敗戦を悟らないように、情報を集積できないようなかたちで戦争を続けていた」。近現代史が専門の加藤陽子東京大教授は著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で国の情報操作を指摘する。

 知らせるべきことを知らせない。その結果、国民が根拠のない「必勝」の掛け声に背中を押され、敗戦の破局に至ったことを、歴史は教えている。

 加藤さんは、菅義偉首相が日本学術会議会員への任命を拒否した6人の一人である。現政権は拒否の理由を、当事者にすらいまだ明らかにしていない。

日々小論の最新
もっと見る

天気(2月25日)

  • 12℃
  • ---℃
  • 10%

  • 12℃
  • ---℃
  • 10%

  • 13℃
  • ---℃
  • 10%

  • 13℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ